青蓮寺の本尊様「善光寺阿弥陀三尊

青蓮寺の本尊様を納めている大金庫

申し訳有りませんが秘仏です。参拝をご希望の方は毎年秋のお彼岸中日の午前10時から午後3時までご開帳をいたします。本ページ上での公開は控えさせていただいています。

 平成19年3月16日に開催された国の文化審議会は、文部科学大臣に対して、青蓮寺の本尊様「銅造阿弥陀如来及両脇侍立像」(善光寺三尊仏)を国の重要文化財に指定するように答申しました。
 伝記によれば、源頼義が融通念仏を信仰してこの仏を守り本尊とし、その後八幡太郎義家の三男義国に伝えて代々守り本尊とした。その後、新田義重に伝えてから代々の新田氏守り本尊となり青蓮寺に伝えられたと言います。すなわち、この善光寺三尊仏を守り本尊とするものが源氏の、新田氏の正統である証となります。

 中尊阿弥陀如来は台座共で44.6p、脇侍は向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩で、それぞれ33.2p・33.3pです。

 先ず本尊様の信仰の流れについて説明いたします。
 平安時代の末から鎌倉時代にかけて、世の中が大変乱れるようになりました。時を同じくして末法思想も起こってきます。そんな、明日をも知れぬ中で人々は三国伝来とされる善光寺の阿弥陀様に救いを求めました。善光寺信仰と言われるもので、
 沢山の人々が善光寺に参詣しようと押しかけたわけです。「牛に引かれて善光寺参り」等の説話も生まれています。とは言うものの、誰もが善光寺にお参りできるわけではありません。お参りできない人々の方が圧倒的に多かったことでしょう。何とか善光寺にお参りしたい、そんな人々の願いの中で、「新善光寺」と称する寺が全国、あちらこちらに建立されるようになります。
 同様に、善光寺の本尊様と同じ様式の仏様も多数造られたのです。この仏様のことを善光寺三尊と称します。青蓮寺の本尊様も、その流れの中で造られた仏様であります。
 時宗は宗祖一遍上人が、修行中に、また悟りを開かれた後に善光寺を参拝され、善光寺の本尊様を篤く敬いました。ですから、時宗の寺々の中には、新善光寺と称される寺が、また本尊様は阿弥陀三尊の形式が多く見られれます。当然善光寺三尊そのものを本尊とする寺もあります。
 青蓮寺もその一つであります。ですから、建治年間(1275)僧一遍上人東国に法を弘むるの際 上人に帰依し、時宗に入る。……とあります岩松山縁起と併せ推測すると、そのころ造られた仏様である可能性が高いと考えられます。
 その仏様を、代々大切に守り伝え、源氏の、新田氏の、岩松氏の正統としての象徴に位置づけたのではないでしょうか。本来岩松青蓮寺にまつられてきた仏様なのか、また江戸時代、天明年間に書かれた古文書にその名が記されている安養寺の本尊であったのか。または、代々の当主が身近に置いて日々手を合わせていたのか。後日の研究を見守りたいと思います。 

 指定の理由としては、
 各鋳銅製鍍金。鎌倉時代に流行したいわゆる善光寺式阿弥陀三尊像の一例である。
 鎌倉時代金銅仏の中で、鋳上がりの見事さ、別に鋳造した部位を取付ける技法を多用する手の込んだ作技など、技法的にもっとも高水準の作品であり、またその彫刻としてのできばえも鎌倉中期の作品として優れた部類に属する。 とあります。
 また、善光寺三尊としては極めて精巧な造りであり、木彫を感じさせるような優美さがその特徴であることから、とても姿が美しく優れた仏様であると、研究者の中では良く知られておりました。そして、青蓮寺の歴史を研究された方々からは「この場所で失われずに残ったことは奇跡に近い」とまで言われています。

 主を失った仏様でありましたが、今日まで沢山の方々の思いが込められ守られてきた仏様であります。素晴らしい先人に恵まれたことに、心から感謝したい思いであります。
 

青蓮寺の本堂と庫裏(青蓮寺の沿革)

青蓮寺の沿革

青蓮寺のお前立ち阿弥陀様

青蓮寺のお前立ち

青蓮寺の欄間彫刻

青蓮寺の永代供養墓苑「アユスの郷」

青蓮寺の永代供養

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青蓮寺の欄間彫刻

このページでは、国指定重要文化財である青蓮寺の本尊様『善光寺阿弥陀三尊についてご案内いたします。