青蓮寺のお前立ち阿弥陀仏

青蓮寺のお前立ち阿弥陀様

 平成7年秋、御前立ち(阿弥陀仏立像)の解体修理をしたところ、体内から古文書が二つ発見されました。それまで御前立ちの由来は全く不明でありましたが、この体内文書により詳しいことが判りました。体内文書は写真に撮影した後、新たに住職の文書を加え再度阿弥陀様の体内に納められて、次の修理があるまでの間永い眠りに就いています。

 この阿弥陀様は、寛永12年(1635)に江戸浅草の浄土宗正覚寺二代住職でありました栄感上人様が、近在の多くの人々の寄進を受けて、仏師運慶の末流・鎌倉の仏師宗意により造られたことが明らかとなりました。
 その後この阿弥陀様は火災に遭い傷んでしまいましたので、寺の蔵にしまわれてしまいます。(江戸は何度も大火に見舞われており、その後も火災に見舞われているようです。)

 正覚寺の九代住職となられた念徹上人様は、たまたま新宿村、福田家の出身でありました。(現在の桐生市新宿で、福田家も存続しています。) 自分の生まれ故郷に近い久方村にある青蓮寺の話がその耳に届いたのです。「檀家わずかに15軒の貧乏寺があり、やっとの思いで本堂を大改修した。しかし本尊様が秘仏のため本堂に入ってもがらんとした空間だけで拝む仏様もないと檀家が嘆いているという。自分としてはこの話を聞いて身が切られるような思いである。それならばと、蔵に入っていた阿弥陀様を修理して青蓮寺に納め、85歳で亡くなったお母さんの供養にしよう。文書と、お母さんの遺髪、形見の念珠が体内に納められています。

 正覚寺九代住職念徹上人様の手により書かれた文書は享保8年(1723)に書かれたものであり、当時の青蓮寺の困窮した状態や、桐生の福田家の出身であること、両親の戒名等も書かれています。その時の青蓮寺は十二代住職含雪和尚でありました。

 時宗の寺になぜ浄土宗のお坊さんの立派なお位牌があるのか、これは長いこと大きな謎でありましたが、この文書により謎が解けました。青蓮寺にとっては大恩人であります念徹上人様のお位牌が今日まで大切にまつられています。

 また、本尊様は江戸時代中期、既に秘仏であったことも分かりました。

 お前立ちの阿弥陀様の両脇に祀られています「観音菩薩様」(向かって右)「勢至菩薩様」(向かって左側)は、平成16年7月に太田市在住の荒居龍雄氏により奥様の供養をかねて寄進されたものです。体内には、住職が勤写しました阿弥陀経一巻及び、荒居龍雄氏関係の文書を作成し納めてあります。

青蓮寺の本堂と庫裏(青蓮寺の沿革)

青蓮寺の沿革

青蓮寺の本尊様

青蓮寺の欄間彫刻

青蓮寺の永代供養墓苑「アユスの郷」

青蓮寺の永代供養

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青蓮寺の本尊様が納められている大金庫

青蓮寺の欄間彫刻

念徹上人のお位牌

大切に守り伝えられた青蓮寺の大恩人
念徹上人様のお位牌

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このページでは、青蓮寺のお前立ちである阿弥陀様についてご案内いたします。歴史のおもしろさを感じるものです。