桐生南無の会のぺージです

時宗 青蓮寺

桐生南無の会


29周年記念記念講演会講演録「喜ばれる悦び」 
            講師:桐生市ボランティア協議会会長
              桐生災害ボランティアセンターセンター長
                    宮地 由高 氏


28周年記念記念講演会講演録「東日本大震災に被災して」 
            講師:すばらしい歌津をつくる協議会会長 小野寺 寛 氏

27周年記念講演会講演録「無縁社会から有縁社会へ回帰」
                              講師:篠原鋭一先生


26周年記念記念講演会講演録「南無そのまんま」  
                                   講師:ひろさちや先生

25周年記念記念講演会講演録「心に高き帆を」 
                            講師:長徳寺住職 酒井大岳師

24周年記念講演会講演録「捨て聖一遍上人~その人と教え~」
          講師:時宗宗学林学頭、飯能市金蓮寺住職 長島尚道師

23周年記念講演会講演録「生かされて生きる」 
                         講師:重恩寺住職 吉田正彰師



桐生南無の会 会長として会報に掲載した

        青蓮寺住職(本間光雄)の文章




被災地復興へ向けて     桐生南無の会会報平成25年6月号掲載文
 昨年の周年記念講演会で講師をお願いした小野寺さんの話は、静かな語り調だけに重みを感じるものでした。一つ一つの言葉が今なお私に問いかけてくるように感じています。
 南三陸町にお邪魔をするたびに、復興の様子が窺え、その中で私たちに何が出来るのか、常に自問をしてきています。『復興支援』言葉では簡単に言えることが出来ても、その内容は時々刻々と変化し続けています。
 支援というとすぐに義援金と考えてしまいがちですが、果たしてそうなのか。現地に立ってみるとなおさらその思いが深まります。今なお南三陸町へは泥かきボランティアの派遣が続いています。ニュースで報じられていることとは違っている現実も見えてくるのです。
 今南三陸町では、水産加工場がいくつか操業を始めていて、復興の兆しが見えてきています。しかし住宅となるとまだまだ緒にも就かないのが現実のようです。住宅の復興を阻害している要件は様々です、ですから一概には言えないのですが、前途は多難なようです。まだまだ時間がかかるのではないかと感じざるを得ません。
 しかし、水産加工場が操業を再開しだしたと言うことは、明かりが射したとも言えます。しかし、操業を再開しただけでは先には進めません。製品が売れて初めて復興につながるのだと思います。
 そこで、被災地を仮にも見続けた私の考えを述べさせていただきます。
 まず、既に義援金ではないでしょう。確かにお金はあれば便利です、必要なものを求めることが出来ます。でも、義援金がいくらあったとしても、津波に破壊された故郷がこれで復興できるという実感は伴わないと思うのです。これから住宅の再建が始まれば、相当な資金を要することは理解できますが、先の当てがない限り、この地に住み続けることが出来るとはならないのではないでしょうか。
 自ら働いて確実に収入が得られ、初めてこの地で暮らしてゆけるという実感が伴うのだと思うのです。桐生仏教会の支援はこの観点からなされています。
 でも、大上段に構えてことを起こそうとは考えていません。復興にはこれから何年もかかるでしょうから、支援は継続性のあるものでなくてはならないのです。無理をすれば長続きは出来ません。それではせっかく再開した産業の基盤を危うくしてしまいます。
 震災後各地に復興市場が出来ました。南三陸町にも復興市場が出来、1周忌の時には沢山の人で賑わっていました。盛んにニュースなどでも取り上げられましたから、知名度は抜群なはずでした。しかし時間の経過と共に、訪れる人は減少の一歩をたどっているようです。3回忌でお邪魔した時に、現実を目にしたのです。
 被災地の皆さんにしてみれは、こんな筈じゃなかった。ということになってしまっているのかもしれません。
 先日桐生仏教会青年部の取り組みが新聞各社で取り上げられましたからご存じの方も多いでしょうが、蝋燭作りの支援が始まろうとしています。
 寺院では沢山の燃えさしがでます。これを原材料の一部にでも出来れば、リサイクルの精神にもかなうものです。蝋燭の燃えさしがたまったら、現地に送っていただく。ゴミとして処分するよりよほど気が利いていると考えられないでしょうか。送料は喜捨で良いではありませんか。蓮やバラの花に生まれ変わった蝋燭を買わせていただくことになります。
 まもなくお中元の季節になります。実は、昨年末からこんな取り組みも始めています。いち早く水産加工場を再開した南三陸町の会社にお願いをして、お中元やお歳暮に商品を使わせていただこうというものです。
 ほんの一部で良いのです、被災地の物産をギフトに使ってみて下さいという試みです。そして、毎シーズン使っていただくことを願っています。これも負担にならずに出来ることではないでしょうか。無理にとは言いませんが、長くお付き合いいただきたいことであります。
 昨年、テストケースとして取り組みを始めたばかりです。先様もなれない取り組みでしたが、これから少しずつでも良い方向に向けたいことであります。
 桐生仏教会では、南三陸町を主体とした支援活動をしていますが、桐生災害ボランティアでは、こんな取り組みもありました。
 南三陸町ではありませんが、かきの養殖が再開し水揚げが始まったのですが、水産加工場が十分ではなく出荷が難しい事態となった産地に、今年のシーズンにかき食べ放題ツアーを実施しました。バス代込みで○○円、格安料金でした。
 私も時間さえあれば参加したかった小旅行。希望者がまとまればとのお話があったのですが、残念ながらお彼岸の直前の話で涙をのんだものです。話を伺うと、参加された方々には大好評であったと言います。
 支援と言うと大袈裟になってしまいますが、楽しみながら参加したことが立派な支援になるとしたら、これほど良い話はありません。来年この話があるかどうかは分かりませんが、もしあれば皆さんと一緒に参加したいものだと考えています。
 無理をする必要はありません、でも継続しなくてはならないのです。今回の大災害に立ち向かうには、十年以上の継続が求められていると感じています。あるときは悲しみを共にし、またある時には楽しみとして、皆さんと一緒に歩ませて下さい。
 
昭和枯れすすき     桐生南無の会会報平成25年5月号掲載文
 最近この歌が気になって仕方がないのである。哀愁を帯びたメロディーで根強い人気があるようで、カラオケでも上位に入っているという。
 発売当初全く人気が出なかったが、たまたま焼き鳥屋で酒を飲んでいたディレクターの耳にとまり、ドラマの挿入歌となった。そこから人気に火がついたという。何が幸いするか分からないものである。
 私がちょうど学生の頃の話であり、同じ時期に『神田川』とかフォークソングブームで流行った記憶がある。今の若い人には理解できないかもしれないが、下宿と言えば、炊事場もトイレも共同で、電話など夢のまた夢であった頃である。『神田川』の歌詞に♪三畳一間の小さな下宿、とあったが、まさしく現実の世界で、学費を稼ぐために休学をして働き復学するという友人もいた。
 世の中は高度成長で、イケイケ状態夢のあったように思う。それでも取り残された姿も見ることが出来、昭和枯れすすきが多くの人に受け入れられたのではないかと思う。
 でも、♪世間の風の冷たさにこみあげる涙ではなかったように思えてならない。まだまだ貧しかった、それでもお互いを助け合っていたように思う。そんな暖かさがあった。
 ところが今はどうだろう。部屋には鍵を厳重にかけ、他人とは関わりを持とうとしない。隣のことについては我関せず。となってしまってはいないだろうか。平成不況と言われて久しい。他人のことなどかまっていられない、そんな余裕はないと言わんばかりである。
 私が学生になった時には、ほとんど形骸化してはいたが米穀通帳がまだあった。食糧配給の名残で、一応米を買う時には必要とされていた。子供の記憶として、ものが十分でなかったこと
が刻まれている。本当に食べることに必死だった頃、人は素直に感謝することが出来た。美味い不味いではなく、食べることが出来たことに感謝できた。
 そんな記憶を掘り返してくれる歌であるが、この歌詞は現在の方がふさわしいように思えてならないのだ。親が虐待の末子を殺す、子が親を殺す。毎日のようにニュースで報じられている。
 安倍新政権に経済再建の期待が高まる中、本当は『心の豊かさ』の方がもっと必要なのではないか。そう感じてならない。
 ♪幸せなんて望まぬが人並みでいたい、一億総中流と言われた頃の方が夢もたくさんあった。勝ち組・負け組なんて言葉もなかった。もっともっと人に優しかった。
 今私たちが求めなくてはならないもの、それは一体何か。どうしたら優しさを取り戻せるのか。宮地さんのお話をお聞きして考えたいと思います。
 今回の記念講演会のタイトルは、酒井大岳先生が好んで使われる言葉であります。25周年記念講演会でお招きした時にも話されました。
 そして、この大岳先生の書が青柳のお店にかけてあります。今回の講師をお願いしました宮地さんは、老舗『青柳』の社長さんであります。ですからこの言葉は社是と言えます。
 しかし、宮地さんと言えば青柳の社長と言うよりも、ボランティアの顔の方がなじみ深いのではないでしょうか。 宮地さんと長くボランティアでお付き合いをされている鳳仙寺の住職である坪井師に「演題をどうしようか、サブタイトルに菩薩行を使いたいのだが」と相談した時に教えていただきました。お店にはずいぶんとお伺いをしていましたが、それほど意識をしていなかったというのが正直なところです。
 そうだ、それが良いですね。と、即座に演題が決まり、サブタイトルとして『菩薩行を糧として』とすることが出来ました。
 演題とサブタイトルについて了解をいただこうと電話をし、渋る宮地さんにお許しをいただくことが出来ました。 『菩薩行』というと、何かとてつもないことだと思われてしまうかもしれない、自分は仏教についてそれほど深くは分からない、そんなことであります。しかし宮地さんは、記念講演会の会場を提供して下さっています浄運寺の総代さんでいらっしゃいます。
 東日本大震災で犠牲になられた方々を供養させていただきたい、その思いを叶えて下さったのが宮地さんです。こころよく南三陸町と岩沼市とのご縁を結んで下さいました。
 宮地さんはボランティアと言われていますが、私から見れば立派な菩薩行をされています。誰よりもすばらしい行をされていると思っています。私など足下にも及ばない、すごいことだと感じているものです。
 菩薩行は『してやる』ではなく『させていただく』であります。そうしなくてはいられないという思いが根底にあります。誰かに頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、この状況を黙って見てはいられない。その思いが宮地さんを動かしているのだと思います。
 そして、そのエネルギーが周りの人たちに伝わり、また新たな波紋を広げてゆく。その集団の中心にはいつも宮地さんの姿を見ることが出来ます。
 今桐生市は衰退の一歩をたどっています。人口の減少は30年も前から止まりません。高齢化も進んでいます。マイナスの話ばかりが聞こえてきます。しかし、桐生が全国に誇れるものがあります。それは何処も真似をしたくても出来ない、それが桐生のボランティア集団です。宮地さんというリーダーの下に沢山の人たちが集まっています。
 今回の講演では、東日本大震災に向ける思いを通して菩薩行を語っていただきます。
 
アッと言う間        桐生南無の会会報平成25年4月号掲載文   
 2年も前から計画を練り、1年かけて実施となったインドの仏跡参拝。
 毎日犬の散歩をしながら空を見上げ、飛行機の姿を探しながらインドへの思いを馳せ、指折り数えていたのが嘘のようです。
 2月21日の夕方、成田を飛び立つ時には、長いように感じた日程も、あっという間に終わってしまいました。今は、たまった仕事に忙殺されながらも、興奮冷めやらぬ状態であります。
 私は、仏跡参拝にお誘いする時「行ってみると分かることがありますよ」とよく言います。今回も発見の連続でありました。それだけに興奮度も深いというものであります。
 今回の巡礼の旅では、まずほとんどの方に知られていない場所が含まれていました。せいぜい名前だけは知っているものの、その場所には行ったことがない。そんな仏跡です。
 また、ほとんどの方が行ったことがないということは、情報がきわめて少ない、皆無と言ってもよいぐらいの地でもありました。それだけに行くことにはしたものの、どんな状況なのかさえ分からずというものでありました。
 お釈迦様を荼毘に付した後、遺骨は8に分割されたことはよく知られています。しかし築かれたストゥーパ八カ所のうちで場所が明らかになっているものはクシナガラ・ピプラワ・バイシャリそしてラーマグラーマ。ラージギルとパーヴァー村は場所が特定されていない。アルラカッパとヴェータドヴィーパに至っては全く分からない。仏教徒にとって極めて大切な場所であるにもかかわらずこんな状態である。
 百年ほど後、アショカ王が仏教を中心とした治世を行ったことで世界宗教への扉が開かれた。アショカ王は仏舎利が納められたストゥーパを開き、仏舎利の再配分をし、八千四百のストゥーパを新たに築いたとされる。しかしラーマグラーマのストゥーパは龍神が守っていて開くことができなかったという。
 ラーマグラーマこそ、創建当時のストゥーパを知ることができる唯一のものなのである。これほど重要な場所は外にはないと言っても過言ではない地である。しかしこの地を訪れる人は皆無と言ってもいいぐらいなのである。
 予備知識としては、コーリャ族の都デーヴァダハのすぐ近くというものであった。仏跡参拝の添乗歴20年の現地ガイドを初めとして、全員が行ったことのない地であった。どう調べても場所さえ特定できなでいたが、デーヴァダハについてはおおよその見当がついていたので、たぶんそこで済むであろうという予測をしていた。
 ところが風向きが変わってしまった。ネパールの2日目、釈迦族のカピラ城跡とされるティラウラコットとその一帯をを参拝し、昼食後にラーマグラーマに向かうことになったのだが、現地ガイドが「ラーマグラーマとデーヴァダハ両方は無理かもしれない」と言いだした。どうやら場所が離れているらしい。まずはラーマグラーマである、デーヴァダハは無理だとすれば諦めるより外はない、となった。
 誰もその場所を知らない。ホテルの従業員で場所を知る人に道案内を頼んでいよいよ向かうことになった。ホテルから1時間10分、道路はだいぶ整備されて快適な高速道路(日本で言えば片側二車線のバイパス)もあり、予想よりだいぶ早く着くことができた。
 とても静かな場所で、それほど大きくはないストゥーパが私たちを待っていた。思い描いていた場所とは全く違う、私が得ていた情報は一体何だったのだろう。
 傍らには日蓮宗が建てた顕彰碑が、これには驚いてしまった。しかし我々の姿に気づいて集まってきた人々はまだまだ純真で、物乞いをすることもなかった。参拝者が来ていない証拠である。
 さて、そのすぐ側にあると思っていたデーヴァダハは、ここからバスで45分、直線距離にして20キロも離れていた。途中まではまあまあの道だったが、街道をそれたとたんに凸凹だらけの田舎道である。そして小さなマヤ夫人を祀る祠があった。その祠のあたりには煉瓦のかけらが散らばっていて、ストゥーパの基壇を感じさせるものであるが、地面と同じ高さで平らな状態であった。これがストゥーパの基壇であるとすれば、デーヴァダハの近くにあるとされるストゥーパであろう。
 城跡は隣接する学校敷地内と考えられると言うが、発掘をすることは無理だろうとも言う。謎は残された感じである。
 私が日本で得ることができた情報は、先に書いたとおりである。20キロも離れていてすぐ近くはないものだ。と言うことは、最初に書かれたものを皆が引用して書いているに過ぎないのではないかという想像が成り立つ。書いた人は現地に赴いていないことは明らかである。現地に来ているとすれば、こんな簡単な過ちは起きない。
 誤りの最初は、確認できる限りでは法顕である。彼の旅行記ではこの両地点はすぐ近くとなっている。玄奘三蔵もしかりであった。これが間違いの初め?と考えると合点の行くものが出てくる。
 多くの仏跡が、法顕・玄奘の旅行記により確認されているのだが、まだまだ未確認の場所が残されているのも事実である。極めて正確な記述が多いことは多くの研究者が認めるところだが、きっと伝聞により書かれたものもあるように感じる。
 インドとネパールの国境東側の地域、ラーマグラーマからラウリアナンダンガルに至る北交易路にまつわるエリアはミステリーゾーンであることを確信するに至った。まだ終われそうにない。
 
聖地にて         桐生南無の会会報平成25年3月号掲載文   
 この会報が皆さんのお手元に届く時には、私はインドの地にあります。例会が始まる時間には、サンカーシャの参拝を終えて、巡礼が成満し唯一の観光先であるアグラに着く頃かと思います。今は出発の準備に追われているところです。
 先日、南三陸町のすばらしい歌津をつくる会から宅急便が届きました。中には『未来への遺言』と題された分厚い作文集が入っていました。ページをめくってみると、改めて被災地の記憶が鮮やかに甦り、涙があふれてきました。
 この大震災の記憶を風化させることなく永く後世に伝えようと、小中学生の作文が収められています。子どもたちの目は飾ることなく、ありのままの衝撃を綴っていて、胸を打たれます。 辛い記憶の中にあって、なおかつ前に向かおうとする気持ちには、私の方が励まされているような思いにとらわれます。
 過日ヒロ先生から頂いた言葉、被災地の皆さんの思い、沢山の思いを背負って巡礼の旅をしています。先々でご供養をし、亡くなった友人の遺骨を散骨しと、これほど思いの強い旅はこれまでに経験した事がありません。それだけに、沢山のことを得ることができるのではないかと思っています。
 被災地には供養のかたちとして各聖地のレンガや土などを届けようと考えています。帰ってきて直ぐに3月11日がやってきます。大震災から早くも2年、三回忌を迎えます。
 インドネシアで起きた大震災により、インド洋沿岸各地はとてつもない津波に襲われ沢山の方が犠牲になられました。私達に馴染みの深いスリランカも大きな被害を受けた国の一つです。
 その時、誰よりも早く救援活動をしたのは、ニアニッサラテーロー、首都コロンボのガンガーラマという寺の住職でありました。仮設住宅の建設など、積極的に復旧支援か都度をされたのは記憶に新しいところです。
 東日本大震災では、ほとんど報道はされていませんが、実に多くの僧侶が支援活動に取り組みました。それは今なお継続されています。桐生仏教会でも、三回忌の慰霊法要を兼ねて被災地に赴きます。
 仏教とは何か、お釈迦様の教えは何か、何が出来るのか。この大きく世の中が変わろうとしている今、改めて自問しなくてはならないことが沢山あるように感じています。
 生きると言うことは何か、命とは何か。改めて皆さんといっしょに考えてみたいと思います。4月の例会では、この旅で感じた素直な気持ちを含めてお話しが出来ればと考えています。
 インドでは、皆さんのご多幸や、縁ある方々の供養もさせて頂きます。どうか無事の帰国を祈ってください。
 
雨奇晴好(うきせいこう)    桐生南無の会会報平成25年2月号掲載文      
 先日、ひろ先生から『「菜根譚(さいこんたん)」の読み方』という著書を頂きました。日本がバブルに向かいだした頃でしょうか、昭和61年に発行されたものです。
 ちょうどその頃だと思うのですが、南無の会でもおなじみの霊元師の著書で菜根譚に触れていましたが、135項目にも及ぶものである事を初めて知る事になり、その奥深さを改めて認識する事が出来ました。
 ひろ先生はまえがきの中で、「出」世間の人間学とされ、世間を一歩離れたところに自己の立場を設定する事により著者である洪自誠(こうじせい)は、ありのままの「人間」を見ることができたと論じておられます。
 加速する日本経済に浮き足立つ姿に対して、強く警鐘を鳴らされていたのだと感じましたが、混乱を極めなおも停滞する今日の日本にとってこそ必要なものであると考えさせられたのです。
 今回の題名は、頂いた著書に先生がサインしてくださったもので、日本の仏教界に対する思いが込められているのだと思います。大意は、雨の日も晴れの日もどちらも素晴らしい、であります。
 発足した新政権は、日本経済の再生を旗印に掲げていますが、どうでしょう。ますます高齢化が進み、すでに高齢社会に突入し、今後更なる事態に突入してゆく事は明かであります。お先真っ暗としか言いようがない状況で、私もその中の一人である事は紛れもない事実であります。
 このような状況に於いても、仏教はただ手をこまねいて何もしないのか?さあどうする。強烈な叱咤激励であります。
 私は、間もなくインドの仏跡参拝にまいります。お釈迦様の足跡をたどる旅を繰り返す中で、共通の基盤に立っていない日本仏教を感じ、その脆弱性に危機感を深めてきました。
 お釈迦様の説かれた教え、その上に宗派が成り立っているはずなのに、共通の基盤としてのお釈迦様が見えないのです。お釈迦様を感じればかんじる程、この思いは深まってしまうのです。
 日本でお釈迦差を学ぶ事も大切かもしれません、しかしお釈迦様の足跡を直接感じる事はもっと大切な事だと思うのです。そういう意味では、仏教徒を自認する我々は、積極的に聖地巡礼をしなくてはならないでしょう。
 お釈迦様はあらゆる人に対して、分け隔てすることなく法を説かれました。人々の中にあって、共に歩まれたのです。ひろ先生のもう一つの投げかけは『仏教は、世間虚仮(せけんこけ)』、実に厳しい言葉であります。二つの問いかけを背負いながらの旅になりそうです。
 願わくはこの功徳を、普く(あまね)衆生に施して、同じく心をおこしつつ、安楽国に往生せん。
 
無常の世          桐生南無の会会報平成24年12月号掲載文         
 冷たい北風が吹くことが多くなって、つい先日まで青々と茂っていたはずの草が枯れ、山の色も大きく変わってしまいました。私達はこの世の無常を味わう事になります。
 人間とは勝手なもので、春草木が芽吹く時にはあまり無常であるとは感じません。やはり成長のエネルギーを感じるからでしょうか。
 それに反して、この時期はやはり死滅を感じるため、無常を意識するようになるのかも知れません。ついつい背中を丸め、炬燵に潜り込んでしまいます。
 廊下の板張りに寝ていた猫たちは、何時の間にか布団に潜り込むようになります。犬は小屋に入って寝るようになります。朝、布団から抜け出せなくなるのは人だけではないようです。なんだかエネルギーが失われてしまう感じなのです。
 どうも私達にとって『無常』とはマイナスのイメージが付きまといがちであります。しかし、私達は常に無常の中にあるわけです。ですから、肯定的に捕らえる事がとても大切なのだと考える事が出来ます。
 我が身も常に変化し続けています。これは紛れもない事実であります。しかし、その変化は実に緩やかで、なかなかその変化を感じる事は出来ません。自分は変わらずに、周りだけが変わって行く。そんな感じでありましょう。 しかし、ある日突然に自分の変化に気付かされるわけです。『こんな筈じゃなかった。』となります。この驚きは何度も繰り返され、自分が確実に衰えてゆく身であると思い知らされるわけです。
 早くも師走です。また慌ただしい時間が回ってきます。年齢を重ねる程に一年が短く感じられるようになるそうです。これは、誰にでも共通の現象だそうで、一年が短いと感じるようになったら、それなりの年齢になったと自覚すべきなのでしょう。
 11月の平均気温は、例年より低いようで、山の実りが心配になります。イノシシが毎夜境内を荒らしてくれます。芝生も所々めくられてしまい、直さなくてはなりません。
 山に豊かな実りがもたらされれば、これほどの被害は出ないと考えるわけです。山は荒れ放題、子供の頃遊び回った林には、人が入り込める余地さえない程になってしまっています。こうなったのも、私達人間の勝手が招いた結果かも知れません。
 最近熊の出没がニュースになります。これも同じ事ではないでしょうか。人里に餌を求めて出てきたばっかりに命を落とす。本当にあわれに思えてしまいます。
 きっと熊は、無情を感じている事でしょう。私達は、迫り来る暮れに無常を味わうのだと思います。
 
豊かさの代償          桐生南無の会会報平成24年11月号掲載文
 物質的に豊かになると、心が滅びると指摘した先人がいました。私も法話の中で度々取り上げてきたテーマであります。
 少し前までは、世界で最も治安の良い国として、世界の範であったはずですが、この頃は雲行きが怪しい状態です。これは、日本人であれば、誰もが感じるところでありましょう。
 先日床下から3人の遺体が発見され、更に少なくても5人が行方不明であると、ニュースで度々報じられています。今までなぜ?そんな気持ちが私の中にはあります。極めて特異な事件で、発覚が遅れた。そんな簡単な理由では納得できないのです。
 少なくとも、異常な事態が起きている事は周囲にも知られていたであろうし、発覚の機会はいくらでもあったはずです。それなのに何故?なのです。
親戚に「このままでは殺されてしまう」と、借金を無心した。その直後に行方不明になってしまった。行方不明のままで、ほったらかしにしてしまっている、何とも解せない事であります。
 身内の人間に対しても、無関心でいられる?もしそうだとすれば、とても悲しい事だと思います。間はどんなに困った存在であったとしても、行方不明になって「良かった」まさかそんな事はないのでしょうが、背筋が寒くなります。
 自分の周りに対して、これほど無関心でいられる事を怖いと感じます。恐らく、今の日本を象徴しているのだと思います。私達、一人一人が、改めて自分の心の内を見つめ直す必要に迫られているのだと、思えてなりません。
 私が子供の頃、近所中にお節介焼きがいました。私が泣くと、隣のおばさんが飛んできて母を助けてくれた事を良く聞かされました。今は、隣近所で悲鳴が聞こえても、誰も助けに来てくれず、見過ごされてしまった。そんな
事件もありました。
 しかも、悲鳴を聞いた隣人が、堂々とテレビのニュースでインタビューに応じている。下手をすると、犯人そのものが「こんな事件が起こるなんて・・・。」平然と答えていたりもありました。まさに心が滅んだ結果であります。
 豊かになればなる程人を疑うようになる、こんな状況が私達の目指した未来なのでしょうか。幸せに生きるために、一生懸命に頑張った結果が、これでは悲し過ぎはしませんか?
 物欲が満たされれば満たされる程、新たに欲しい物が生じてきます。私達の欲望には限りがない、それが人の性だとしたら、いかにしてその性をコントロールするか、それ以外に解決の道はないと思います。
 お釈迦様を学べば学ぶ程、その教えの大きさに気付かされます。来年2月、またお釈迦様に会いに行きます。
 
もし・・・だったら        桐生南無の会会報平成24年10月号掲載文
 厳しかった夏も終わり、いよいよ秋の夜長であります。例年のことですが、10月のお施餓鬼に向けてひたすら塔婆書きという状況になります。
 ひたすら筆を持ち、同じ文字を書き続ける単純作業、書く文字は身体が覚えています。ですから、書くことに集中しながらも、全く別のことが浮かんできたりもします。そんな一コマを書いてみることにしました。
 私たちは、自分の人生を振り返った時『もしあの時・・・』をいくつか抱えているのではないでしょうか。咽に刺さった魚の小骨の様に、チクチクと心にうずく厄介な代物であります。
 そこには運命のイタズラと、呪いたくなる様なものも見え隠れしてきます。普段は意識していなくても、何かの拍子にうずき出すものもあると思います。そして、全く自分に関係のない外的要因までもが関わってきていることも良くあることです。
 もしオードリー・ヘップバーンが歌えたなら、ミュージカルの女王ジュリー・アンドリュースは存在しなかった。
あまり知られていませんが、こんな事があったそうです。
 ミュージカル映画が流行りだした頃、サウンドオブミュージックという映画が企画されました。誰を主演にするか、まず最初にあげられたのがオードリーだったそうです。ところが彼女は歌が下手だったのです。そんな訳で出演を辞退してしまいました。
 誰にしようか、探し回った末に、当時ほとんど無名であったが、歌唱力のあるジュリーにおはちが回ったのだそうです。結果は皆さんよくご存じのことですが、サウンドオブミュージックはミュージカル映画の名作となり、ジュリーはミュージカル映画には欠かせない存在となりました。こんな運命のイタズラもあるのですね。この世の不思議というものでありましょう。
 もしオードリーがそこそこに歌えたならば、ミュージカルの女王ジュリー・アンドリュースはこの世に存在しないことになります。これをチャンスに恵まれたとだけで片付けることはできないと思うのです。
 どんなに才能があろうと、芽が出ないことは多いのだと思います。努力を重ねても報われないことの方が多いのかもしれません。ときには失望感に襲われることもあるでしょう。あいつばかりがなぜ上手くいく、文句の一つも言いたくなります。それでも、この世に命を受けることが出たのですから、有り難いと思わなくてはなりませんよね。
 ひたすらお施餓鬼の塔婆を書き続け
ながら、頭をよぎったものであります。 これから先、何が起きるか分かりません。こんな事がしたい、こんな事があればいいな・・・・。秋の夜長の一コマであります。
 
人間だから            桐生南無の会会報平成24年9月号掲載文
 ロンドンオリンピック、皆様の中にも寝不足になった方が沢山いらっしゃったのではないかと思います。ただでさえ猛暑で寝苦しいところに深夜のオリンピック中継ですから、ついつい見てしまった。そんな所でしょう。
 なでしこジャパンの活躍、本当に凄いことだと思いました。その決勝戦では、あってはならない誤審が2回もありました。日本ではあまり大きく報道されなかったのですが、勝ったアメリカと、主審のドイツでだいぶ大きく取り上げられていて、もし誤審がなければ勝敗の結果は分からなかったと、アメリカの選手も認めるものでした。
 その時、日本の選手達も、監督も、皆反則をアピールしたけれども認められなかった。選手はとても悔しい思いがあったと思います。本来ならばペナルティーキックとなるはずです、しかも反則を犯したアメリカの選手は一発退場となってもおかしくない、そんな勝敗の行方を左右する極めて重大な場面でありました。
 私も釈然としなくて、文句を言いたい気持ちで一杯だったのですが、誤審について感想を求められた佐々木監督のコメントには本当に頭が下がりました。これぞスポーツマンシップだと感服しました。
 試合終了後の記者会見で、この誤審についてのコメントを求められた佐々木監督は「何のことでしたっけ」と冗談で切り返した後、「主審が何を見ていたかは分かりませんが、私は主審の判定を尊重します」と応じています。
 監督にしたって怒り心頭のはずです、でも怒りを露わにしたところで試合結果が覆ることはありません。ここに大人の取るべき態度を感じたのです。
 今回のオリンピックは、誤審が多く体操や柔道でも判定が変わってしまう場面がありました。全力を尽くしている選手にとって誤審はあってはならないことだと思います。
 しかし、競技をするもの人間ですし、それを判断するのも人間です。機械がしているわけではありません。恐らく、選手も審判も大きなプレッシャーの中でのことでありましょう。
 佐々木監督のコメントは、その全てを飲み込んだ上での、成熟した大人の取るべき態度であったと感じています。
 話は変わりますが、このところ領土問題で大騒ぎをしています。国どうしが相手の非をなじり、ののしりあっているかの様相を呈しています。お互い引くに引けないものがあるんだと感じないわけではありませんが、どんなものでしょう。
 両国間で解決出来ないのなら国際機関に裁定をゆだねる、これが正当な判断なのだと思います。もう少し大人にならないと、子供のケンカになってしまいそうで心配であります。
 佐々木監督の爪の垢でも煎じて・・

玉虫     桐生南無の会会報平成24年8月号掲載文    
 先日の朝、犬の散歩をしていた時のことです。道に玉虫の姿を見つけました。玉虫の姿を見ることはまれです、年に一匹見る事が出来るかどうかと言うもので、10年以上続く毎朝の散歩の中でも数回しか見たことがありません。 道に転がっているような状態でしたので、もう死んでしまっているのかと思いながら拾い上げました。手のひらに載せて歩いていると、かすかにですが足が動き出しました。
 このままにしておいても死んでしまうと思い、寺に持ち帰り、猫の餌を入れるステンレスの器に砂糖水をティッシュに含ませ、そこに入れてみたのです。
 やがて玉虫は元気を取り戻し、ティッシュにしがみつき水を吸うようになったのです。別に網があるわけではありませんから、逃げだそうとすれば簡単に逃げることが出来るはずで、一度は廊下を歩いていました。しかし飛ぶことはありません。
 よく見ると、羽が痛んでいます。ひょっとしたらカラスにでも襲われ、運良く逃れることが出来たのかもしれないと感じさせるものでした。一度だけ羽を広げて飛ぼうとしている姿がありました。
 砂糖水が乾かないように水を足したり、替えたりしながらの3日間を過ごしたのですが、4日目の朝死んでいました。羽に傷があり、先がかけてしまっていましたが、ほぼ完全な姿を残してくれたのです。
 玉虫と言えば、法隆寺の玉虫の厨子が有名です。厨子には二千枚とも言われる玉虫の羽が貼られていたと言います。キラキラと輝く緑と茶の縦縞は、CDやDVDの輝きを連想させます。 古代の人々も、この虫にきっと神秘的なものを感じたことでしょう。ひょっとすると、浄土からの使者と思ったのかもしれません。
 数も少ないこの貴重な虫の羽を集め、厨子に貼った人の思いの深さを感じさせられます。
 今、玉虫は本堂に置いてあり、しばらくの間乾燥させようと思っています。そして、阿弥陀様の足下にある舎利容器に収めようと考えています。その舎利容器には昨年拾った玉虫が納められています。2匹並んで浄土の阿弥陀様をご供養してくれることでしょう。
 浄土と言えば、蓮が代表になります。その美しさは見事であります。仏様は蓮の台に乗られ、それだけで浄土を表していると言えます。しかし今年の夏はちょっとおかしいようです。
 開花がとても早かったのです、いきなり猛暑に見舞われましたが、長期予報通りになるのかどうだか。勝手に心配をしているところです。
 この夏も節電が求められていますが、少しでも穏やかな夏でありますように願うばかりです。
 
イノシシ大暴れ       桐生南無の会会報平成24年7月号掲載文
 私の仕事部屋は庫裏の一番奥まった、本堂の裏と竹藪に面した場所にあります。夜落ち着いてからがパソコンに向かっての時間です。この文章もそんな時間に書いています。
 真竹がタケノコを出すのは、梅雨入りのこの時期で、子供の頃から慣れ親しんできた味です。この季節しか味わうことの出来ない好物でもありますが、今年はちょっとした異変が起きてしまいました。
 時として暗闇に包まれている竹藪から、バキバキと変な音が聞こえてきます。この音が聞こえてくると、もう仕事どころではありません。窓を開けてバチンと手を叩くと、ドドドッと竹藪の中を逃げてゆく獣の気配があります。そう、イノシシがタケノコを食べに来ているのです。竹藪の中は、イノシシに荒らされ、まるで爆弾が落ちたのではないかという有様です。タケノコは片っ端から食べられてしまい、私たちの胃袋には届きません。
 少し遠慮してくれたなら、お互いに季節の味を楽しめるのにと、ちょっと口惜しい気がしてきます。お墓の中にも、あちこちにイノシシが荒らしたあとが見られます。実に困ったものです。 今年は、放射能騒ぎで山菜採りの人が少ないために、野生動物たちは人里までは来ないだろうというのが4月頃の話でした、しかし私の期待むなしく、見事に外れてしまいました。
 猿も直ぐ近くまで来ているような話で、もう400メートルも離れていません。この上猿まで来てしまったらどうなるのだろうか?竹藪に4年も続けてイノシシが来てしまえば竹藪は絶えてしまうかもしれません。
 そうなればわざわざお金を出して竹藪の手入れをすることもなくなってしまうでしょう。食べたい一心で竹藪を絶やしてしまえば、イノシシだって困るはずです。
 イノシシや猿、手を焼いたとしても見える相手です。対処の仕方は金に糸目を付けさえしなければ、それなりにあるのです。しかし見えない相手となるとそうはいきません。
 放射能汚染の騒ぎ、これこそ見えない相手だけに不安が不安を呼ぶという状況が続いています。誰を信じたらよいのか、ことごとく疑心暗鬼であるとも言えます。本当に困ったものであります。
 しかし、その中にあっても逃げ出すことは容易ではありません。こんな状態に人は何時までも絶えることが出来ないかもしれませんね。
 こうなったら腹をくくってしまうしか方法はないのではないでしょうか。放射線量の高い地域、そこで日々を送っている人たちもいます。ここから逃げ出すことが出来ないとしたら、見えない恐れに振り回されずに、共に生きてゆくしか道はありません。
 
百千萬劫難遭遇      桐生南無の会会報平成24年6月号掲載文
 開経偈(かいきようげ)という偈文に、今回の題としました『百千萬劫難遭遇』(ひやくせんまんごうなんそうぐう)という言葉が出てきます。「この上もなく有り難い教えに今私は巡り会うことが適いました。百千萬劫もの時間の流れの中にあっても、出会うことが難しい教えであります。でも私は、仏の真実の教えをなんとか分かりたい。」と。
 インドの仏跡を旅すると、お経の中に出てくるとてつもなく長い時間や距離、大きさなどが何となく分かってきます。これは自分の身体で感じるもので、その場にあって初めて感得することができるのだと思っています。理屈で感じようとしても無理なことでしょう。
 祇園精舎からインド側のカピラ城跡と言われるピプラワまではおよそ150㎞程の距離があります。急激に発展を遂げるインドの中にあって、今なお昔の姿を留めていると言える田舎道をバスは5時間近く掛けて走ります。沿道には洋辛子の原料となる、菜の花科の黄色い花が咲く畑がひたすら続いています。30分走っても、1時間走っても、景色は変わりません。同じ景色の中をひたすら走るという感じです。
 このようなシチュエーションは日本にはまずありません。5分も歩けば景色が変わってしまうような、狭い土地に暮らしている我々にとっては、いつまでも景色が変わらないと言うことは驚きに近いものがあります。
 お釈迦様はこの道をご自分の足で旅されたわけです。バスでは5時間かもしれないが、歩くとなれば何日もかかる布教の旅であります。景色の変わらない中を何日も托鉢をし、お説教をされながら行かれるのです。何とも気の遠くなるものでありましょう。
 急いだからとてどうにもしようがありませんから、気長に歩き続けるしか術はありません。こうなると時間や距離の概念は自ずから変わってしまうものであります。
 インドの人たちが持っている時間や距離の概念は、私たちと大きな隔たりがあると考えながら改めてお経を読むと、何となく合点が行くようになってまいります。
 先日、5月21日の朝、私たちは金環日食という天文ショーを目の当たりにしました。木漏れ日の形までがその有様を写しだしてくれました。日本国中で、この日食は部分食を含めれば見る事が出来るという、極めてまれな事で、実に九百数十年ぶりのものであります。しかも、中国の日の出から始まり、アメリカの日没までと、その範囲も大きいものでした。
 あいにく雨模様になってしまい、観測できなかった地域もありましたが、予想以上に広範な地域で観測できたというおまけ付きでもありました。
 この金環日食を利用して、太陽の正確な大きさを測ろうとしたり、しばらくは話題が尽きそうにもありません。
 この先どうかなと調べたところ、桐生では4年後の3月、7年後の1月と12月、8年後の6月、18年後の6月に部分日食を見る事が出来そうです。
そして23年後の9月には皆既日食が。こうなれば、なんとか23年後の皆既日食を見たくなります。
 この壮大な天体ショー、金環日食や皆既日食は、私たちにとって一生のうちに一回巡り会えるかどうかと言うものです。いくらテレビの中継を見たところで、直接我が目で見ているわけではありませんから、その場にいるだけでも興奮してしまうことになります。
 古代インカでは、既に日食がいつ起きるかを観測で導き出していたと言いますが、ほとんどの先人達にとって驚き以外の何物でもなかったことでしょう。
 たぶんインドでは『ひいお爺さんが若かった時、ある日突然太陽が隠れてしまった。バラモンが占ったところ、悪魔が太陽を飲み込んでしまったという。このまま太陽が戻らないと、世が滅んでしまう。みんなで一生懸命に祈ったところ、やがて太陽を取り戻すことが出来た。人々が悪いことを重ねると、悪魔が大きくなり、太陽を飲み込むことになりかねない。皆心して行いをつつしむことだ。』こんな言い伝えがあって、日食が起きると皆が慌てふためいて祈った。勝手にこんな話を想像して思わず苦笑いをしてしまいました。
 滅多に遭遇することなど出来ない事に巡り会った時、それが自分にとって心躍るものであれば、気持ちはまさに『百千萬劫難遭遇』でありましょう。
 インド人は大げさだ、計ることが出来ない程の距離や時間、大きさを言葉にしてしまう。なんて言いたくもなるでしょうが、素直に巡り会えた感動や感激、喜びを最大級の言葉で表している。そう言っても過言でないと金環日食を見上げながら感じるものでありました。何となくインドの心に触れた思いであります。
 逆に、あって欲しくないものにも巡り会わなくてはならないのがこの世であります。私たちは、ともすればそこから目を背け、見過ごそうとしてしまいがちであります。いずれ自分も死ぬ身であることなど、充分承知しているはずです。自分の責任に於いて片付けておかなければならないものをかかえていながら、あえてやり過ごそうとしてしまう、そんなことが多々あるのではないでしょうか。
 今、数年のうちに東京を大地震が襲うかもしれない、そんなことが取りざたされています。起きる可能性があるとすれば、目を背けることなく、備えを固めることが大切になります。未曾有の、想定外のなどと言わずに、向き合うことなくしては、東日本大震災でなくなった方達に対して、申し訳ないように思えてなりません。
 どちらにしても、力は及びません。
 
時は流れて  桐生南無の会会報平成24年5月号掲載文         
 桐生南無の会が産声を上げて早くも28年が経過しました。30代半ば、意気軒昂な青年僧であったはずなのに、年金を手にする年になってしまっています。身体は確実に老化し、腰は痛くなるし、老眼鏡のお世話にならなければ新聞も読めない有様です。変わらないのは、意識だけであります。
 28×3=84、人生の三分の一を越える時間だけがあっと言う間に過ぎ去ってしまったと言えます。そう考えると、とてつもない時間を積みあげたのだと思えてきます。
 平清盛伝説、音戸の瀬戸開削の難工事。激しい潮流に海難の耐えなかった難所音戸の開削に着手、十ヶ月を要したという。いよいよ今日で竣工をと意気込み、引き潮に合わせて取り組んだが、思うようにはかどらず、ついに陽は西に傾いてしまった。あと少しで終わるのに・・・
 この時清盛は、近くの岩によじ登り今まさに沈もうとする太陽に向かって『返せ、戻せ』と叫んだという。すると不思議なことに沈み掛けた夕陽が戻り、無事に工事を終えることが出来たという。叫んだところは日迎山と呼ばれるようになった。
 私たちは誰もが、過ぎ去った時間を呼び戻したい、同じ思いを抱くのだと思う。
 若さ故にがむしゃらに前に進むことが出来た、まさしく体力勝負である。それ故に様々な事に取り組めたが、沢山の失敗も積み重ねた。今、その頃を振り返ると赤面の至りである。今ならもっと上手くやれるであろう、そう思い至った時に心底過ぎた時間を呼び戻したいと願うものであります。出来ないことと承知の上で、それでも呼び戻したいと思う。
 与えられた人生という道は片道切符であります。戻ることも、止まることも敵わない。そんなことは百も承知で
ある。それでも戻りたいと思う。
 気力も体力も、集中力も確実に衰えてきている。こんな事一晩で片付けることが出来るはずなのに。悔しがってみたところで敵うはずがないのである。
 こう言うと『おまえはまだ若い、70歳になったら・80歳になったらそれが分かる』先輩方に言われてしまいそうであるが、これは自覚の問題だし、まだ先のことは経験していないので想像も出来ないことである。
 いつまでこれを続けられるのか?このままではじり貧である。そう思いつつも、まだ積み重ねていこうとする自分がここにいる。いつしか期待は重荷になってしまっている。
 そんな中で、新たな刺激を求めている自分がいることも事実である。もっと自分の思いに集中したい、残されている時間はわずかである。
 住職となり40年が経過してしまった。あっと言う間である。人生の集大成にも取り組みたいと思うものであります。
 もう一度改めて仏教の原点を見つめてみたい。そんな思いがお釈迦様の聖地インドへと私を駆り立てます。お釈迦様の足跡をたどり巡礼をする。そのたびに新たな発見があります。これはその場所に行ってみない限り感じることが出来ないものであると思います。
 宗祖の背中を追って行くと、その遙か先にお釈迦様の背中を感じる。一生懸命に追っているつもりだが、かえって背中が遠ざかってしまうように思えてならない。それ故に、全身全霊を掛けて追ってみたくなる。
 お釈迦様の背中が私に何を語ってくださるのか、その声を聞きたいとも思います。そこに私の僧侶としての集大成としての道が示されるのだと。
 このような想いの中に昨年の3月11日もあります。
 その時、私は寺まであと10分という所にいました。総本山遊行寺から帰坊を急いでいた時です。ちょうど小俣に入った時、とてつもない揺れに襲われました。しかしその時には、まさかこんな大災害に遭うとは思っても見ませんでした。
 その後、桐生災害ボランティアの仲立ちにより百ヶ日忌、一周忌と被災地で供養をさせて頂きました。
 南三陸町と岩沼市、その場所に立った時、初めて津波の恐ろしさが理解できました。映像で見たものとは全く違うものを感じたのです。
 そして、出来る事なら一人でも多くに方に、実際に現地に行ってもらいたいと思うようになりました。想像ではなく、自分の身体で感じてもらいたいのであります。
 どの様な目的でも良いのです。泥かきや瓦礫の撤去に汗を流すことも大切です。しかし全ての人が出来るかと言えば、それは無理です。年齢による制約も確かにあります。しかし、現地に行くことは健康な方であれば誰にでも可能なことでありましょう。
 買い物ツアーだって良いと思います。実際に自分の目で被災地を見て、感じることが必要なことだと思えてなりません。
 瓦礫が撤去され、土台だけが残された映像を沢山見ました。そこには瓦礫の山を見いだすことは出来ません。しかし、その直ぐ近くには、寄せ集められた巨大な瓦礫の山を見る事が出来ます。そこに寄り添うようにして生活をされている被災者の姿があります。
 自分の目でしっかりと見る事もしないで、想像だけで議論をすることの空しさを感じるはずです。
 お釈迦様は『我が身に引き当てて』と教えてくださいました。この教えを新たにしたいものであります。
 今回の記念講演が、新たな出発点になる事が出来れば幸いであります。私たちには知らされることのない、生の声に是非耳を傾けて頂きたいと、心底願うものであります。

 
思い通りには?   桐生南無の会会報平成24年4月号掲載文     
 先日ある特養で、入所者に法話を頼まれました。
 考えた末『人生思い通りにはならないから面白い』との演題にして、お年寄りを相手に一時間ばかりのお話しをさせて頂いて参りました。公民館の高齢者学級にお越しになられる方々よりはちょっと年上の方が多く、それなりにスリリングな経験をさせて頂くことが出来たわけです。
 それはさておいて、その翌々日、藤澤の本山に出向くことになりました。天気予報ではだいぶ気温が上がるようなことを言っていましたので、久し振りに愛車でのドライブとしゃれ込んだわけです。
 最悪3間半、たぶん3時間ちょっとで藤沢に着けるはず。そんな思いで意気揚々と出掛けた私です。ところが途中から雲行きが怪しくなってきました。道路情報によると首都高速川口線が8キロ以上の渋滞。ちょっとヤバイ・・・・。川口のパーキングエリアで一休みをしながら交通案内の画面と睨めっこ。どうやら逃げようがないから、このまま湾岸線に出て・・・・。ところが5号線がちょっと早いらしいと、途中から方針を変更してしまったわけです。しかし交通案内とは裏腹にこちらも大渋滞。
 のろのろと進むことを余儀なくされたのですが、我が愛車はマニュアルシフト。ひんぱんにクラッチを踏み込んだりと、快適なはずのドライブが台無しになって、やっと4時間かけて本山にたどり着く羽目になってしまいました。「こんな事になるのなら、別の車にするんだった・・・」後悔先に立たずです。
 翌日、時間を見計らって、この時間帯ならスムーズに走れるはずとばかりに本山を出発したところが、今度は湾岸線で事故発生!横羽線共々、またもや大渋滞。どうにも逃げようがありません。そんな訳で、帰りも4時間を越える苦難のドライブに。
 人生の先輩を前に、偉そうに?「この世は娑婆なんです。何事も思いのままには参りません。文句を言っても始まりません・・・」打ち上げてしまったばかりです。
 やっとの思いで首都高を抜け東北道に入ったら、今度は追い越し車線をのんびりと走り続ける輩が・・・。何とも間の悪いことで、ついつい文句が出てしまいそうになってしまいました。 そんな時に、しまった、この間何事も自分の思い通りには行かないと、しゃべってしまったんだ。ひょいと思い出してしまったのです。
 思わず苦笑いをしてしまったのですが、この時の私の顔を見ている人がいたなら、きっと『変なやつ』と思うことでしょうね。不機嫌そうな顔がいきなりにやにや顔になって、これは陽気のせいか・・・・・。
 
思いはインドへ   桐生南無の会会報平成24年3月号掲載文
 今、私は極めてハイな状態である。なぜならインド仏跡参拝の旅を来年実施することが総代世話人会で了承されたからである。
 BS観光の花嶋氏とだいぶ前から仏跡についてやり取りをしてきた未知の遺跡がある、そこが参拝先に含まれている。2月中旬から興奮状態に入ったのだが、果たして来年まで持つのか、大いに疑問である。
 実は、私には長年温めてきた構想がある。それは仏跡に関する本を書くという夢である。仏跡に関する本は確かに出版されている。素晴らしい本もあることは確かである。しかし、自分の知りたいことが一冊ですべて完結できるものはないのである。
 こうなったら、今まで調べてきたものを基本に、納得のいくものを自分で書くしかない。これが結論である。
 すでに400字詰め原稿用紙換算で200枚に達している。毎日10ページぐらい、書いては読み直し推敲を重ねてきた。全部で14日間の日程、そのうち9日目まで書き連ねてきて、やっと先が見えてきた。もう少しである。
 100枚目ぐらいに達した時、知り合いにそれまで書いた部分を読んで下さる様に頼んだ。自分の思いだけで書いてきている、これが果たして伝わるものか確かめなくてはならない。
 インドに行ったことのある坊さん、行ったことのない坊さん。それぞれに読んでもらわなくてはならない。せっかく書くのだから自己満足に終わらせたくないのである。
 次に、インドに行ったことのある在家、全くインドを知らない在家、それぞれに読んでもらうことにしている。ここで伝わらなくては、布教畑の人間として面目丸つぶれになってしまう。
 書くという作業がどんなものか、今回やっと分かった様な気がする。私の周りには、これでもかとばかりに本が
積まれているのである。あちこちを開き、確認しなくてはならないからである。当然分かっていないものも沢山出てくる。一つ一つ調べなくては書き進むことが出来ないのである。
 本の最後に『参考文献』の欄があるが、こういう事かと、はじめて納得した次第である。あれやこれやと読み直してみると、本当に書き手の苦労が良く分かる。
 200冊以上の著書がある泰道先生はスゴイ、どうやったらあれだけの資料をそろえることが出来るのだろう。足下にも及ばないことを改めて知ることになった。
 最終確認は花嶋氏をはじめとし、仏跡参拝を専門にする旅行社の人に読んでもらうつもりである。その時果たしてどんな評価を頂けるか?
 思いはすでにまだ見ぬ聖地に飛んでいる。書いていて、ますますハイになってしまった。お許し下さい。
 
辰・龍神の加護を        桐生南無の会会報平成24年2月号掲載文
 辰年を迎えました。十二支の中、唯一想像上の生き物で現されています。それが『龍』であります。
 龍は自由に空中を移動し、雲を呼び雨を降らせる農耕の神として信仰を集めています。また、神社仏閣などの彫刻にも彫られることが多く、火災から大切な堂宇を守りたいという先人の思いを推し量ることも出来ます。
 さて、この龍ですが、起源はインドにあります。インドでは『ナーガ』と言い、水の神とされています。その原形は猛毒を持つことで恐れられている毒蛇コブラです。コブラは恐ろしい生き物ですが、インドではむやみに殺されることもなく、様々な命と共存していています。インドの奥深さを感じさせられます。
 仏教でも守護の神として取り入れられていて、教典の中にも随所にその存在を感じる事が出来ます。
 悟りをひらかれたお釈迦様は、その悟りを楽しむため改めて深い瞑想に入られます。そのさなか大嵐が吹き荒れてしまいます。
 竜神はお釈迦様を守ろうと、その体でお釈迦様を取り巻き、頭上に鎌首を広げました。カンボジアのアンコールワットは、この時の姿を象徴していると言われています。
 極楽の有様を説く中では、七重の欄循(回廊)・七重の行樹(並木)に囲まれて荘厳されているとあります。実は、竜神ナーガが七重にとぐろを巻きお釈迦様を守った姿を象徴するものであります。
 お釈迦様のお像に、その有様を現しているのももスリランカなどで沢山彫られているので、ご覧になっている方も多いと思います。たぶん、なぜコブラがお釈迦様の頭上に鎌首を広げているのか、そんな疑問を持たれた方もあるかもしれませんが、これでお分かりいただけるのではないでしょうか。
 昨年、私たちは東日本大震災という、とてつもない天災に見舞われました。国政を始めとし、未だに混乱が続いています。いつになったら落ち着けるのか、糸口さえ見いだせないというのが正直なところです。
 追い打ちをかけるように、関東で直下型の震災が起きる確率が発表されました。いつ首都圏を大震災が襲うのか、もはや予断を許さない緊迫した状況なのでしょう。
 ぐらっとする度に、思わず身構えてしまいますが、その都度地鳴りが聞こえるようなので不気味さを増します。
 願わくは、竜神がお釈迦様をお守りしたように、恵みの雨を人々にもたらすように私たちを加護くださり、当たり前のごとくに穏やかな日々を過ごせる。
 それ以上のものは欲張りません。どうかどうか加護くださいますように。心から願うものであります。  合掌
 

夢でも良いから     桐生南無の会会報平成23年12月号掲載文
 いよいよ師走、今年も残すところ一ヶ月を切ってしまいました。何と慌ただしい年であったのかと、振り返ってみるとつくづく感じます。昨年も同様に感じていた自分を思い出します。これは苦笑いでやり過ごすしかないようですね。
 まず原因の第一に挙げられるのは、自分が歳を取ってきているから?でしょうか。なんたって瞬発力が落ちています。一晩で仕上げられるはずなのに・・・・・。もどかしい思いで一杯になって来ます。
 持久力も体力も確実に落ちてきていますし、記憶力に至っては情けない限りです。直ぐに疲れてまぶたが重くなってしまう、どうにもしようがありません。
 慰めは、血液検査の結果は極めて良好。そして、好奇心だけは旺盛なことでしょうか。インドに対する思いだけは依然ハイテンションを保っています。これが落ちたら立派な年寄りの仲間入りかも知れません。なんたって、年金受給者となってしまっていますからと、自虐的な部分もちらほら。
 今実現したいのは、やはりインドの仏跡参拝が一番です。調べれば調べるほどに新たに行きたい地が出てきます。やはりインドは奥が深いお釈迦様の地なんですね。
 今最も関心のある地はコーサンビー、お釈迦様も安吾されていますし、アショカピラーもあります。大きな遺跡群を有する地の様なのですが、なぜ八大聖地から漏れてしまっているのか?
 四大聖地はお釈迦様自らが定められています。その後アショカ王が四カ所を加え、八大聖地が成立しました。アショカ王はどの様な思いで四カ所を選ばれたのか。考えを巡らせている時はたまりません。
 インドのピプラワがカピラ城として優勢になって来たら、巡礼者にとって最も都合が良い入出国ルートを閉鎖してしまった、こんな事実も発見です。お陰で私達は二時間以上の遠回りを余儀なくされているのです。
 ルンビニを早朝に出てピプラワ・サヘートマヘト(祇園精舎)を経てラクノウという町へ。早くても夜8時過ぎにやっと着く。これが夕方6時に着くことが出来ればどれほど楽になるか。
 参拝に訪れる巡礼者に意地悪をしてもネパールにとっては何の得にもならないのに・・・・
 グーグルアースを相手に、参拝気分に浸ることも楽しいことであります。仏跡の場所を探しだすことはとても根気のいる作業です。まして参拝をしたことがない場所を探しだすことは容易なことではありません。仏跡のある場所を知りたい方には、細かい情報を教えて差し上げますよ。
 インドの田舎道をバスにゆられて・・・、そんな初夢が見たいものです。
 
燃えました    桐生南無の会会報平成23年11月号掲載文
 先日26年ぶりに遊行上人の御親教を受けたところです。話が教区会でまとまったのが二年半前。それからあっと言う間に時間が経過してしまったという感じがします。
 せっかくお上人(時宗では上人というとオンリーワンです)にお越しいただけるならと、計画を立て、檀家さんに寄付をお願いして・・・・。いよいよ本格的な準備に入ろうとした矢先に東日本大震災に見舞われてしまいました。
 最初のうちは、一ヶ月もすれば落ち着きを取り戻せるのではないかと高をくくっていたのですが、いまだに混乱が続いていることは皆さんご承知のとおりであります。その影響もあり、予定していた工事がなかなか始まらず、しかも他のことであれやこれやと振り回されてしまいました。
 思い通りに事が進まないことは世の常であります。そんなことは百も承知でありますが、ぼやくも多くなろうというものです。
 準備は、日が迫る中でどんどん細かいことを考える必要に迫られます。残り時間は時々刻々少なくなり、気があせるばかりで、ついには胃薬のお世話にもなりました。直前になると、連夜の夜更かしとなり、寝不足がさらに追い打ちをかけてくれます。こんな中でついに当日を迎えることになりました。
 沢山の方々の力をお借りして、何とか二日間を切り抜けることが出来ホッとしたのもつかの間、今まで止めていた物事を動かさなくてはなりません。本来ならじっくりと充電をして、と言いたいところなのですが、そうは問屋が卸してくれそうにありません。それにしても、良く身体が持ったものだと我ながら感心してしまいます。
 火事場のバカ力とはこんな事を指しているのかもしれませんね。
 そして、一つの事業を完遂するためには、沢山の方に迷惑をかけ、そのお力にすがるしかないことを改めて感じることになった次第です。力を貸していただける自分は、実に幸せな人間であります。
 一つの目的に向かい、みんなで燃えることが出来る。これもまた素晴らしいことであります。つくづくと人間をやっていて良かったと思うわけです。
 それにしても、いまだに頭はボーッとしていて、眠くてたまりません。アクビと睡魔が立て続けに襲ってきています。これでは思うようにはかどるはずがありませんよね。
 ポツポツと片付けをしながら、少しの苛立ちと、達成感、そして我が身の幸せを味わっているところであります。
 この次インドに行く時に、お釈迦様にどの様に報告させていただこうか。などと考えながら、あせる気持ちをなだめているところでもあります。とにかく無事に終わって良かった。ナーム
 
命に囲まれて    桐生南無の会会報平成23年10月号掲載文
 毎朝のことであるが、本堂へ向かう時の光景です。朝のお勤めをするために本堂に向かう廊下を歩きます。すると人の気配を察した金魚たちが一点に集まり出します。それまで池のあちこちで泳いでいる金魚たちは、餌にあり付ける場所に急いで泳ぎ出すわけです。
最も大きな金魚達は既に15歳以上、20センチを優に超える大きさであります。
 この時期になると、大きな金魚に混じって、今年生まれた小さな金魚の姿を見る事が出来るようになります。やっと赤くなり、また喰われる心配がない程度に成長できた、運の良い金魚たちです。
 金魚に限らず、魚たちは自らが産卵した卵を食べてしまいます。食べられずに孵ったメダカもほとんどが食べられてしまうのです。色は目立たないためになのでしょうか、ある程度成長するまでは黒くて、きっとおどおどしながら密かに時の過ぎるのを待っていたことでしょう。
 赤くなりだした初めのうちは睡蓮の葉陰に見え隠れしていたものが、やがて親たちに混じって遠慮がちに餌を突っつくようになるのです。そのチビ達に「おまえ達はよく頑張ったね、運も良かったんだね」と話し掛けるわけです。
 もう少し大きくなると、今度はサギがやってくるかも知れません。大きく成長することは至難なことなのです。毎年繰り返されるこの営みにより、金魚たちは絶えることなく池で命を繋いできました。
 前庭の池では、はじめて鯉も一匹だけ成長しました。もう10センチ近くになったでしょうか、子鯉に気が付いた時には本当に感動ものでした。しかしいまだに親たちと一緒にはなれずにいます。
 日々変化がないようでも、そこには常に感動があります。発見に満ちあふれているのです。
 そう言えば、温暖化のせいでしょうか。今年になってヤモリを二匹見ました。今までは滅多に見る事が出来なかった姿であります。玄関脇の壁で10センチ位のやつを、本堂のガラスで5センチ位の子どもを見る事が出来ました。
 本堂の向拝では夜な夜なオヒキガエルを見る事も出来ました。ヤモリと同じく、明かりに集まる虫が目当てのようです。じっとして動かないのですが、朝には姿を隠してしまいます。台風が過ぎて、急に気温が下がりましたので、どうしているのでしょうか。
 芝生にいるトノサマバッタたちは、お彼岸中は墓参にきた子どもたちの格好の遊び相手にされていました。
 多くの命に囲まれていることを改めて感じることが出来ました。一緒に生きることが出来る、生かされていると感謝せずにはいられません。
 
必至無上道    桐生南無の会会報平成23年9月号掲載文  
 女子サッカー、ワールドカップの興奮が未だ冷めません。決勝戦でのアメリカとの名勝負、今思い出しても鳥肌の立つ思いです。
 延長戦の後半、残り時間もあとわずか、誰もがアメリカの優勝を確信していたかも知れませんね。画面を見ながら『ここまで良くやった』誰もが応援しながらも言い聞かせていたのではないでしょうか。
 ラストチャンス、コーナーキックに突進する沢選手、そして何がおきたのか信じられないことが。エッ、本当にゴールなの?そして次の瞬間、ヤッター同点だ。
 スロービデオで何回見ても、信じられないようなスーパープレーです。今年のサッカー全てのゴールの中でも1・2にあげられるものだと思います。
 大震災、原発事故と、日本を根底から変えてしまうような大災害の最中、気持ちまで落ち込んでしまった私達に大きな勇気を与えてくれました。
 そして、韓国で世界陸上が始まっています。来年のロンドンオリンピックを見据えた選手達の必至のプレーが繰り広げられるはずです。
 このフィールドに立つのは、地道に鍛錬を積みあげた天才達です。世界中の選び抜かれたアスリートが、持てる限りの力を尽くして勝敗を争います。だからこそ、見るものを引きつけ感動させるのです。
 競技の中では、必ず順位が付きものです。みんな仲良く一等賞。そんなことは有りえません。それだけに、とてつもない厳しさがあることは否定できません。
 しかし、私達の人生においてはちょっと違う観点が必用だと思えてなりません。人生の『勝ち組』『負け組』そんな言い方が良くされたことがあります。一等にならなくてはダメダとばかりに、尻を叩かれ、無理矢理に勉強を
させられ・・・・。
 今回の表題『必至無上道(ひつしむじようどう)(必ず無上道に至らん)』は、法蔵菩薩の修行に対する決意であります。必ずや、この上もない悟りを目指すというものです。そして阿弥陀仏となられました。
 私達は、この世に役割を与えられて、選び抜けられた結果送り出されたと考えた時、その責任の重さを感じることになります。
 しかし、一等賞になることを課せられているわけではないと思えてなりません。自分に納得できるために最善の努力をすることが求められているのだと思います。
 「もう帰っておいで」声をかけられた時、「有り難うございました」とお返しできるような命でありたいと願うものです。
 一寸先は闇、何が起きるか分からない人生ではありますが、燃焼し尽くしたいものであります。
 
酷暑に生かされて   桐生南無の会会報平成23年8月号掲載文
 例年よりだいぶ早く梅雨が明けました。そしていきなりの酷暑です。雨も、集中豪雨の注意報をテレビで見ているだけで、雨が降らずに汗まみれです。渡良瀬川は一時二十%の取水制限に入っていました。おまけに節電です。私たちに出来ることは、エアコンを我慢し、雷雲のない空を見上げてため息をつくことぐらいしか有りません。
 こんなお天気でも、元気者はいます。蓮は例年よりもずっと早く花を咲かせました。沢山の花を一気に咲かせたという感じです。ところが新しく出てくる葉は、弱々しいもので、蕾はありません。どうやら暑さ負けをしてしまったのでしょうか。
 墓地に生える雑草にも異変があり、ドクダミはとても大きく育ちました。白い花が満開になった時には感動すら覚えるものでした。いつもはろくに生えないはずの厄介者がはびこり、掃除の手を遅らせてしまいました。
 どうにもすることの出来ないお天気、でもそれに対して相応しいものがあると言うことを実感した次第です。節電でエアコンを控えめにせざるを得なくなった私たち。上手く対応がとれていませんね。
 いつも申し上げていることなのですが、私たちは機械などに頼ることが当たり前になってしまっています。自らの知恵を働かせて何とかしようとすることがとても苦手になってしまいました。ですから機械などの力に頼ることが出来なくなってしまうと、実に無力な存在と化してしまいます。
 この夏、玄関のエアコンはほとんど使っていません。扇風機にひたすら頑張ってもらっています。なぜなら、玄関を閉めきりにするわけにもいきませんし、涼しい中にこもって居続けることも出来ないからです。
 お陰で汗疹との戦いに明け暮れています。作務をすればぐっしょり汗まみれ、熱中症になりかけることもあります。こうなったらどうにもしようがありませんから、笑い事にしてしまうしか術がなさそうです。
 それにしても原発の騒ぎは収まるどころか、返って拡大しています。こうなるのであれば、最初からちゃんと情報を出しておけば良かったのに。変に隠し立てをしたばっかりに、常に後手に回ることになってしまった。多くの人が感じていることではないでしょうか。
 地デジ化の騒ぎ、中国の列車事故。どこに目線が向いているのか。そんなことも頭をかすめるのですが、どうか頭だけは熱くなりませんように。文句の一つも言いたいでしょうが、冷静さだけはなんとか保ちたいものであります。
 どうやらこのまま暑いお盆を迎えることになりそうです。一生懸命に知恵を働かせて、長くて暑い夏を乗り切ろうではありませんか。
 
自ら感じること       桐生南無の会会報平成23年7月号掲載文
 6月18日、桐生仏教会として大震災(大津波)の被災地である宮城県岩沼市並びに南三陸町で百カ日忌法要を営ませていただくことが出来ました。 被災地を前にして感じたことは、報道などで見聞きしていたものとはだいぶ違うということです。深い心の傷を負われた皆さんの心中を察すると涙が知らずに流れ出てしまいます。
 被災された皆さんと般若心経を一緒にお唱えし、ご供養を申し上げたのですが、般若心経の根幹をなす『五蘊皆空』について考えさせられました。
 『五蘊』とは『色受想行識』の五つのことで、私たちの世界の現象を、物質と精神の作用として説くものです。この第一に『色』とあります。これは『眼耳鼻舌身意』を表し『色声香味触法』の六境を知覚する『六識』であるとしています。これらは全て般若心経の中に出てくる言葉ですね。
 この六識の『意』以外が私たちの持つ知覚機能であります。この知覚機能のことを『五官』と言い『五根』とも言います。
 今私達が『五感』と言っているものがこれに相当するものであります。すなわち『視聴臭味触』であります。視=眼・聴=耳・臭=鼻・味=舌・触=身となります。
 さて、私たちは通常備わっているであろうこの感覚器官、機能をどれほど使いこなしているのでしょうか。はなはだ疑問に思うのであります。被災地で改めてこのことを感じた次第であります。
 現状はテレビのニュースで見ているから全て分かっている、本当でしょうか。カメラを通して映し出されるものは極めて限定的であると言えないでしょうか。カメラが映し出せる範囲はせいぜい30度前後の幅であります。周囲360度で見ればわずか十二分の一にしかなりません。撮影者の背中側は決して映し出されることがありません。
 実際に自分の目で見た場合でも、わずか三分の一、120度ほどしか視界には入って来ないのであります。自らの体を回転させて初めて見たと言えるのであります。映像では感じることの出来ない津波の恐ろしさ、怖さ、残酷さが我が身を震わせます。
 志津川の防災対策庁舎、その周囲に広がる惨状、そして津波を免れた地域、それがはっきりと直線的に明暗を分けていました。歌津でも、本当にここまで来たのかと驚くばかりでありました。
 岩沼市の恵洪寺さんの山門前に広がる田畑しかりでありました。海など全く見えないし感じることが出来ない場所であります。
 我が身、全身全霊で感じることは、映像の発達等でますます少なくなってしまう現代において、極めて重要なことと感じる供養となりました。 合掌

 
27年の歩み       桐生南無の会会報平成23年6月号掲載文
 昨年桐生仏教会は設立百周年を迎えました。今改めて百年の重さを感じているところです。
 桐生の中にいると分からないのですが、宗内の仲間に各地域の仏教会の状況を尋ねてみると、桐生仏教会の凄さを実感できます。私たちの先輩が残してくださった大いなる財産であると、胸を張って言うことができるものです。 桐生市民の皆さんも、仏教会が何か行事をすることは当然だと思っていらっしゃるでしょうが、こんな仏教会には他ではお目にかかることがないのです。
 仏教会でまとまってのお寺参り、当然自分の菩提寺とは違う宗派の寺院参拝が多くなります。僧侶の側としてもそうですが市民の皆さんにとっても宗派を超えて一緒に和気藹々とした雰囲気で参拝が出来る、本当に素晴らしいことであります。
 宗派を超えて地域の寺がつきあう、当然だと思っていたのですが、どうも桐生は特別らしい。そう感じてから他の地域にも関心を持つようになったものです。
 こういう下地があるからこそ、宗派を超えて南無の会の活動が出来ているのでしょうね。今では年金を頂く私ですが、桐生南無の会が始まったときには名実ともに青年僧でした。いやはや、アッという間の二十七年であります。
 先日、日本人の平均寿命がさらに延びたと新聞で読みました。男性もついに八十歳の大台に達したとあります。その中で27年とは、三分の一を占めるのです。この先27年は無いな、そう考えると人生が実に短いものであると感じてきます。
 既に三分の二以上が過ぎ去ってしまった、まだまだ大したことも出来ていない。あまりにも中途半端な自分に愕然としてしまいます。
 人生は長い?短い?皆さんはどう感じていらっしゃるでしょうか。どちらにせよ同じ時間であります。文句を言いながら生きても、感謝しながら生きても、たどる道は同じだと思います。そうだとすれば、感謝するしかないと思えませんか。そして、わずかずつでも良いから、積み重ねるほかありません。
 南無の会が正しくこれに当てはまります。27年の間には風前の灯火状態もありました。継続する意義を見失いそうにもなりました。最後には居直りまで。
 しかし、たとえわずかであっても、例会に足を運んでくださる方がいらっしゃいました。今そのころを振り返ってみると、感謝の思いが沸々とわき上がってきます。そのお陰で、今日があります。
 周年記念講演会には、松原泰道先生をはじめとして、多くの著名な先生方にお越しいただけました。『どうしたらお呼びできるのか?』そんなことも度々問われました。問われて初めて大変な方をお呼びしていたのだと分かる次第で、赤面の至りです。
 この27年間、実に沢山のお陰を頂き、こうして歩んでくることが叶ったわけであります。本当に凄いことだと思えてなりません。知らぬ事とは言えずいぶんとぶしつけなお願いをしたことでありましょう。それにも拘わらず、大きな気持ちで応じてくださったのであります。
 どうすればこのご恩に報いることが出来るのか考えたときに、桐生仏教会を立ち上げた百年前の偉大な先輩方の思いを感じることが出来ました。百年前、設立に水を得たかのように矢継ぎ早に様々な事業を展開したそのエネルギーの源にあったもの、正しく今を生きている人たちに向けた強い意志を感じるのです。
 学校や図書館、更正施設と、今では公が行うべき事業を展開しています。そしてその時起きた事業が、主体を変えながら残っているのです。時代の求めたものにしっかりと応えたからに他なりません。
 さて、今私達に求められているものはと考えたとき、今回お招きが叶いました篠原師にたどり着いたわけであります。
 流行歌は、その時代を反映していると言われます。時々テレビで懐メロ特集みたいなものが放映されています。その曲が出来た時代背景や、作詞家の考えていたことなどが併せて紹介されたりもします。なるほどと納得できることが度々ですが、本当によい歌は時代を超えて語りかけてくるものがあることに気付きます。
 時代の寵児ともてはやされ、テレビに出ない日はないほどの売れっ子であったはずなのに、アット言う間に消えていってしまう。そんなことも目にしますが、これは本当にその時代が求めていたものか、疑問に感じるものも沢山あります。本当に時代が求めたものには、消えずにしっかりと残る何かがあると思えてなりません。
 桐生仏教会の百年を振り返ったときに、改めてその普遍性を感じるのであります。そして南無の会が27年続く事が出来た意義が少しでもそこに近づければとねがうものであります。
 南無の会の設立理念『一宗一派にこだわることなく』に最も忠実な会の一つであると自認し、それを誇りとしているのですが、今後新たな広がりを求めて止まないものであります。
 理論ではなく、実践の場としての桐生南無の会。もっともっと大きく育てていただきたいと念願するものです。「お前たち良くやったね」泰道先生に、森永老師に、吉野猛彦師に、松原哲明師に、南無の会でお世話になった先生方に浄土でお会いするときに声をかけていただけるような、地味かもしれませんがそんな積み重ねをしたいものであります。 合掌
 
人知を超えて     桐生南無の会会報平成23年5月号掲載文
 3月11日の大震災発生から早くも四十九日が過ぎました。以来、震災にかかる報道は一日たりとも途切れたことはありません。
 新聞紙面では『亡くなられた方々』という欄がもうけられ、一日も休まずにこの大震災の犠牲になられた方のお名前が掲載され続けています。身元の判明していない方を含め、死亡者は既に一万四千人を超えています。行方不明の方も未だ一万二千人、この震災がいかに凄まじいものであるかを語っています。
 発生直後のガソリンをはじめとする混乱は、一応の落ち着きを取り戻してはいるものの、いつまたパニックに陥ることかと、不安は拭いきることが出来ません。連日の余震がさらに不安を大きくします。
 まして、マグニチュード8に達する大きな余震発生が想定され、東海・東南海・南海という、東日本大震災を超えるかもしてない超巨大地震の発生までもが取りざたされるに至っては、冷静を保つことは極めて困難な事であります。
 高知県の土佐市で、二千年前の巨大津波の痕跡が発見されたといいます。マグニチュード9級の巨大地震によるものらしく、東日本大震災の規模を遥かに超えるとも言われています。一体どうなってしまうのでしょうか。
 この惨状に追い打ちをかけているのが福島第一原発の事故であります。遅々として進まない事故処理に苛立ちが募ります。さらに警戒区域に指定され、立ち入りが禁止された半径20キロ圏内の動物のことを考えると、いたたまれなくなります。犬や猫のペットたちがさまよっている映像がテレビで流れていました。面倒が見られないからと放されたウシが群になってさまよってもいました。
 そして、その動物たちは助け出すことが禁止されているといいます。追い打ちを掛けるように、安楽死をさせると報じられています。身を切られる思いがします、この怒りをどこにぶつけたらよいのか、やり場のない思いです。一体どれだけの命を奪えば気が済むのでしょう。
 画面に映し出された動物たちの姿に哀れがつのってしまいます。飼い主の心には、とてつもなく深い傷を残すことでしょう。被災した人の心のケアが大切だと言いながら、その傷口に塩を擦り込むような行為に思えてなりません。
 寺で飼っている元はと言えば、捨て犬・野良猫であっても、私には見捨てることが出来ない大切な命であります。どのように考えて決めたことなのか、その心の冷たさを感じないわけにはいきません。
 そして、今回の大震災でよく使われている言葉に『想定外』があります。この言葉を聞く度に、実に虚しくなるのは私だけでしょうか?『想定外』と言いさえすれば許されるとでも思っているのかと言いたくなってしまうのです。
 科学が発展した今日、人間の能力に不可能はない、ぐらいに思い上がっていた結果ではないのでしょうか。私たち人間の手にした科学や力なんて、大したものじゃなかった。素直に認めなくてはならないと思うのです。
 被災地の最前線で、必死になって行方不明者の捜索に取り組まれている自衛官や警察官。原発事故の現場で、被爆の恐怖にさらされながら懸命に作業をしている技術者たち、その人たちの姿に、私たちを含め安全地帯にいる人たちは何を思っているのでしょう。
 責任ある立場の人たちの記者会見をしている姿からは、申し訳ないという思いが伝わって来ないのです。そう感じているのは私だけなのでしょうか。
 天災だけであればあきらめがつくこともあるでしょう、しかし人災となると話は別だと思うのです。それを『想定外』と一言でくくられたのではたまりません。
 私たちに必要な思いは、あくまでも生かされているという謙虚さと、人間の力のなさに対する自覚ではないかと思うのです。人知を超えるものが常に存在しているのだという謙虚さなくして、どうして身の安全を求めることが出来るというのでしょうか。
 常に『あるかもしてない』という思いを持つべきではないでしょうか。人間のやることに『絶対』は無いと思うのです。もし万が一にも・・・。そう想定することが出来れば、想定外はなくなるのではないでしょうか。
 安易な思いこみが『想定外』を生み出す源であると考えるものです。
 今回の大震災で分かったことが沢山あります。今まで私たちは知らなかったことが、実に沢山あることが分かった。これは凄いことだと思っています。
 今、タバコが無くなっています。あるのは外国タバコばかり、それすらも少なくなってきています。私の愛飲するJTのタバコは、ずいぶん前に店頭から姿を消しています。
 タバコが無くなる、ビールも逼迫してきているらしい。世界の自動車生産が止まってしまう。まさかこんな事まで起こるとは想像もしていませんでした。
 改めて日本という国の凄さを感じているところです。願わくは、被災地が一日も早く復興を遂げ、そこに暮らす人たちが平安で過ごせるようになることを祈るばかりです。
 そして、無縁社会なる造語がはびこっている中で、多くの人がこの災害を我がものとして支援に駆けつけ、或いは支援の手助けをしていると言うことです。
 まだまだ日本もすてたものじゃないと、今回の大震災が私たちに教えてくれているのだと感じています。
 
足(たる)を知れ      桐生南無の会会報平成23年4月号掲載文
 3月11日午後、私は藤沢からの帰路にありました。足利市小俣町、あと十数分ほどで到着するというところでありました。赤信号で止まったとき突然車が揺れだしたのです。
 最初は何が起こったのか分かりませんでしたが、地震であることに気が付くのにそう時間は必要ではありません。目の前の電柱が激しく揺れる様は、今まで経験したものをはるかに越え、とてつもない事態であることは容易に察しがつくものでありました。
 3時ちょっと前に帰り着きましたが、すでに仏教会の会員の方がお見えになっていて、仏教会の花祭り稚児募集の案内を配布する準備をされているところでした。
 私も加わり三人で作業をしたのですが、その後お見えになるはずの方々は来られません。でも、その時点ではまだ今日の事態は想像すら出来ませんでした。
 作業中にラジオを出してきて、聞いていたのですが『大地震』であることは分かったものの、まだまだ気持ちには余裕があったと言えます。
 既に半月以上が経過し、死亡者・行方不明者数は3万人に迫る大震災であり、未だ混乱の最中にあります。加えて福島県の原発事故であります。出口の見えない混乱は収まりそうにもありません。
 桐生仏教会では既に50万円の義援金を拠出、私の寺でも20万円を拠出しました。現在仏教会をあげて募金活動を展開しているところであります。
全国、いや世界中の国や人々が援助の手を差しのべる中で、実に情けない姿が見受けられるのが極めて残念であります。
 気が付けば、有りとあらゆる生活必需品が、いきなり店頭から消えてしまったのです。お米・カップ麺・菓子パン・ティッシュ・トイレットペーパー・乾電池、切りがありません。いち早く買い占めに走った人が出たのです。気が付いたら、もう何も残っていないと感じる有様です。
 正直なところこの未曾有の大災害、誰しも不安に駆られるものであります。私とて同じです。口にこそ出しませんが相当なストレスを受けているのだと思います。タバコの本数が倍になってしまったことが動かぬ証拠であります。 しかし、被災地の惨状を見聞きし、物資の不足が連日報道されているのです。避難されている方は多いときには四十万人を超え、あらゆる物資が不足していることは明白であります。
 幸いなことに、桐生市および近郊では屋根の瓦が崩れたりと被災はしているものの、津波に襲われた方々を思えば無傷に等しい状態です。電力不足に伴う計画停電により、暗く寒い時間を過ごさなくてはならないことも起こりましたが、三時間だけ我慢をすれば済むことです。
 非常事態宣言が出てもおかしくない事態であります。皆で不便を分かち合い、我慢しなくてはなりません。それが私たち誰にでも出来る被災地、被災者に対する援助に他なりません。
 少しでも無駄を省き、出来るだけ多くを被災地に回さなくてはならないのに買い占めに走るということは、実に醜い利己的な行為と感じるのです。
 その極みが、ガソリン不足の有様であります。地震による精油所の火災も重なり充分な供給が絶たれ、緩和してきたとは言え、まだ開いているガソリンスタンドには、給油を待つ車の列を見ることが出来ます。その周囲は大渋滞に陥り、混乱の極みであります。
 それは致し方ないことではあるのですが、長い列を作った車の中に、どれだけ本当に給油を迫られた車があったのでしょう。10リットルも入らずに満タンになる車が沢山あったというのです。先行きの不安から、常に満タンにしておきたい。不便を享受したくない。そんな利己的な、不要不急の車の持ち主のお陰で、本当に仕事のためにガソリンが必要な人がどれほど迷惑を受けたことでしょうか。
 仕事で忙しい人は、何時間も並んで待っていることが出来ないのです。どこのスタンドが開いていると聞いても、仕事を投げ出して給油に時間を費やすことは出来ません。少しでもその人達のために遠慮しなくてはならないのではないでしょうか。
 自分にとって一ヶ月にどれぐらいガソリンが必要なのか、あとどのくらい走れるのか、ドライバーなら分かっているはずです。必要以上のガソリンは要らないはずなのです。
 こんな時であるからこそ、私たちは冷静にならなくてはなりません、分別をもって立ち向かわなくてなならないのであります。じっと我慢だってしなくてはならないこともあるのではないでしょうか。きっとお米を、カップ麺を買いすぎたとぼやく人がそのうちに現れるのだろうと想像しています。
 少しだけ我慢すれば、なんの不便も感じません。自分の部屋で布団に潜り込んで寝ることが出来るだけでも幸せなことです。停電時、ローソクの明かりの下でラジオに耳を傾けたとき、どれほど贅沢な暮らしをしているのかが良く分かったはずです。
 電気が、水道が、ガスが当たり前に使えることは、本当に素晴らしいことなんだと、素直に感謝しようではありませんか。文句を言っては罰が当たるというものです。
 この大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々・地域が一日も早い復興を遂げることが出来ますように祈念申し上げる次第であります。
 また、少しでもそのお手伝いをさせていただきたいと考えるものです。
 
大地の営み      桐生南無の会会報平成23年3月号掲載文
 九州で新燃岳が噴火し、未だ収まる気配がありません。火山灰の処理に追われて大変な事態になっています。その影で鳥インフルエンザの騒ぎが霞んでしまっているようです。
 とんでもない数の命が奪われています。人が病気になれば、ワクチンの接種等、様々な治療・処置が施されます。なぜ動物ではダメなのでしょうか。口蹄疫の時もそうですが、いたたまれない思いに駆られてしまいます。
 そしてニュージーランドでの地震災害。日本と同じ地震国であるのに、なぜこんなに大きな災害になってしまったのだろうかと、悔やまれてなりません。そして驚いたことは、遠く離れているはずなのに、とても近い国だと言うことでした。
 そこでは、沢山の日本人が暮らし、学んでいることを知ることになったからです。いまだに沢山の消息不明者が居ます。なんとか無事に救出されることを祈っています。
 人知の遥か及ばない出来事が沢山あります。ところが私たちはそこから目をそむけていないでしょうか?それとも、人の力は有りとあらゆるものをねじ伏せることができると考えているのでしょうか?
 自分の体・命であっても思いのままになりません。自分の周りをよくよく観察してみると、ほとんどのものが思いのままにならないと言う事実に突き当たります。人の無力さを嫌と言うほど感じることが大切なのではないでしょうか。
 火山・地震、そして温泉。皆同じメカニズムの元にあります。以前にも書いたことがありますが、常に表裏一体の関係、糾える縄のごとしであります。温泉は好きだけれども地震は嫌だ。誰もが抱く思いであります。
 そう思うことは至極当然のことでありましょう。偽らざる思いであります。しかし、どんなことをしようと、この願いが届くことはありません。私たちに出来ることは、備えを固めることしか有りませんよね。ここは危険だからと、住み慣れた土地を簡単に離れることも出来ません。だから、備えることしか方法はないのです。
 そこから沢山の恵みをいただいていることも、紛れもない事実です。だとすれば、感謝の思いで謙虚にあらゆるものを受け入れる心も必要でありましょう。
 アット言う間にお彼岸になり、様々な花が咲き乱れる季節がやってまいります。白木蓮は十ヶ月も前に花芽を用意して、今や遅しと出番を待っています。準備万端怠りなしです。
 それに比べて、なんとずぼらな時間を過ごしてしまっているのだろうか。もっともっとあらゆる恵みに感謝し、怠ることがない人生を歩みたいものであります。
 
布施の精神を      桐生南無の会会報平成23年2月号掲載文
 昨年のクリスマス、群馬県の児童相談所にランドセルがプレゼントされ、それが日本中に大きな広がりをもたらしました。タイガーマスク運動なる言葉さえも生み出した出来事であります。
 匿名の寄付、その行為自体は大変素晴らしいことだと思うのだが、なぜ匿名なんだという思いが頭をかすめます。出来ることなら、ちゃんと顔が見える状態で、堂々と寄付をしていただきたいものです。
 仏教では布施を説いています。布施行は、人に褒められるために行うものではありません。あくまでもさせていただくという行為であります。させていただくのであれば、名乗る必要もないかもしれませんが、それが本当に受け手にとって必要なものであるかは分かりません。一つ間違えば自己満足になりかねないものであります。
 タイガーマスク運動が、これからの寄付のあり方に大きな波紋をもたらしてくれることを期待するところであります。来年も、再来年も、この運動が続くことを願っています。
 実にほのぼのとした新年を迎えたわけですが、小学2年生に対する通り魔事件など、相変わらず身の毛もよだつ事件が起きています。ネット社会の弊害とでも言いましょうか、私たちの社会は、確実に人との関わり合い方が下手になっています。顔を向かい合わせて、生きた人間と係わるより、顔の見えないネット社会に安らぎを見出そうとしてしまう。虚構の世界と現実社会の見極めが出来なくなっています。
 逆に、ネット社会での情報の伝達が、政権の存続さえ覆してしまうほどの力を持ってきてもいます。正しく諸刃の剣であります。私もネット社会を活用している一人でありますが、本当に必要な情報は得ることが出来ないことも承知しています。
 殺伐とした世の中、何か社会の役に立ちたいという欲求と持つ人たち、逆に社会を恨んで思わぬ事件を引き起こすほんの一部の人。そんな中で、自分を見失うことなく生きることが求められているのではないでしょうか。
 自らを灯火とせよ、法をよりどころとせよ。お釈迦様の言葉が、一層重みを増してきているように感じるものです。
 布施を説く一人として、その責任の重さを痛感しているこの頃であります。今年のテーマは『皆当得生彼(かいとうとくしょうひ)』としました。お釈迦様の教えの下、皆が幸せになれなかったら、生まれてきた甲斐がない。そういいきれる世の中を目指さなくてはなりません。
 『亡己利他』もうこりた、この音をどのように感じ取れるか、その心の豊かさが試されているのかも知れませんね。
 この一年、皆様と一緒に前進してまいりたいと考えています。
 
 
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南無の会は、一宗・一派にこだわらずに、仏教の教えを語る
現代版辻説法の会です。人が人として生きるための教えそれ
が仏教です。