桐生南無の会のぺージです

時宗 青蓮寺   南無の会は、一宗・一派にこだわらずに、仏教の教えを語る現代版辻説法の会です。
桐生南無の会   人が人として生きるための教えそれが仏教です。


  桐生南無の会27周年念講演会講演録


「無縁社会から有縁社会へ回帰」
 
          ~あったかさを回そう~

        講師:千葉県成田市 曹洞宗長寿院住職
         NPO法人自殺防止ネットワーク風理事長
 
                  篠 原 鋭 一 先生
 

29周年記念記念講演会講演録「喜ばれる悦び」 
            講師:桐生災害ボランティアセンターセンター長 宮地由高 氏

28周年記念記念講演会講演録「東日本大震災に被災して」 
            講師:すばらしい歌津をつくる協議会会長 小野寺 寛 氏

桐生仏教会100周年・桐生南無の会26周年記念記念講演会講演録
         
「南無そのまんま」  講師:宗教学者・仏教評論家 ひろさちや先生

25周年記念記念講演会講演録「心に高き帆を」  講師:長徳寺住職 酒井大岳師

24周年記念記念講演会講演録「捨て聖一遍上人~その人と教え~」 
           講師:時宗宗学林学頭、飯能市金蓮寺住職 長島尚道師 

23周年記念講演会講演録「生かされて生きる」 講師:重恩寺住職 吉田正彰師

桐生南無の会 会長として掲載した文章 当山住職(本間光雄)の文章

略歴
昭和19年、兵庫県豊岡市生まれ。
駒澤大学仏教学部卒業。
24時間開放型の寺院をめざして活動中。多くの大学生、高校生の合宿や、生きなおしを願う若者の滞在を引き受けて若者たちに親しまれている。。また、「自殺志願者駆け込み寺」としても知られ、すでに6000人以上と対話。
 「みんなに読んでほしい本当の話(興山舎)」
 「もしもし生きててもいいですか?(ワニブックス)」
など著書多数。テレビ出演多数。
とりわけNHK教育『心の時代』で「いのち・人間」について語り大きな反響を得て異例の四回再放送。
また「みんなに読んでほしい本当の話」上・下巻が毎日放送ラジオの人気番組『ありがとう浜村淳です』でラジオドラマとなり好評を得た。
平成21年、特定非営利法人「自殺防止ネットワーク風」を設立。理事長を務め、現在全国・ハワイ47ヶ所の相談窓口を開設して注目されている。
『無縁社会から有縁社会へ回帰』 ~あったかさを回そう~ 講演録 
 
 7月4日掲載文
 6月4日、浄運寺の本堂には沢山の方がお越し下さいました。有り難いことと感謝申し上げます。
 なお、会場で皆様に大震災支援金をお願いしましたところ39,172円もの浄財が寄せられました。有り難うございます、衷心よりお礼申し上げます。
 去る6月18日、岩沼市と南三陸町にて百日忌法要を桐生仏教会として営ませていただくことが出来ましたことをご報告申し上げます。
-----------講演の始まりです----------
 皆さん今晩は。・・・あんまり元気がないですね。今晩はでも今日はでも、やっぱり会ったんだと、会うべく条件を頂いてお会いできたということなんですから、元気にまいりましょう。今晩は!気持ちがいいじゃないですか。
 頂いた時間が1時間半ですよね。それで、チョット係の方にお願いをしておきます。私の話は必ず延びるんです。間違いなく伸びるんです。ただ年内には終わりますから。だからこの『15分前、5分前』最後に『終わりです』自分で作ってくるのです。夢中になって喋っていますと、いつまでやっているか分からないのが私に癖で、どなたかお願いします。
 皆さんのお手元にとっても立派なパンフレットを作っていただきましたが、皆さんはご自分で仏教徒であるというふうにきちっと『決定(けつじょう)』と言いますね。決定と書いて仏教では、私は仏教徒ですという思いがある。覚悟がある。それから日々の行いも、仏様が教えて下さった羅針盤に基づいて生きるということが、きちっと覚悟が出来ていることを『決定』と言いますが、あらゆる宗教がそうなんですけれども、宗教というのは、亡くなった人に説かれた教えは一つもありません。私は今まで聞いたことがありません。不勉強だからかも知れませんが、全て生きている方々の、生きている私たちの為に説かれた、どう生きるかという生き方を説いているのですね。だから・・・・ 
 8月4日号掲載文
 だから、我々が頂いた仏教という教え、これはまさにお釈迦様から始まって、多くの祖師方が研鑽を重ねて私たちに伝えて下さった『生き方』なんですよね。
 今日をどう生きるか、これからの人生をどう生きるか、だから今日皆様方がここにおいで下さいまして、こうしてお話を聞いて頂く、或いは私の話の中から何か生きるヒントを得ていただければと思います。私はいつもお寺においで下さる、お檀家の方々のみならずあらゆる方に申し上げるのですが、お寺には生きている間にお越し下さい、死んでからでは遅いのです。死んでから来てもダメなんです。
 『仏教はより良く生きるための生き方を説いています。生きている間に学び実行して下さい。死んでからでは遅いのです。』私の名刺の裏に書いてあるのです。
 これを結構皆さん「いいですな」。いろんなお坊さんがこれを。私が名刺を作って「これどうですか?」最初に見せた方が無着成恭さんです。すぐこれを真似して、まるで自分の言葉のように使っていますけれども、作ったのは私です。我々は二度と無い人生ですから。
 時々高校生に話をしますと、人間が一度死んで、もう一度生き返ることが出来ると思っている人はいますか?と聞くと、600人ぐらいいますと、最低5~60人位は手を挙げる。人間生き返ると思っているのです。
 生き返るのだったら殺しても良いとなってしまう。そんなことはあり得ない。「そんなことはあり得ないよ」っていう話をするんですね。
 今日お集まりの皆さんの中に、あの世が有ると信じている方はいらっしゃいますか?
 
 9月4日号掲載文
 アッ、今日はいらっしゃらない。このことについては結論が出ていません。中には、どうしても知りたいという方がいらっしゃるんですね。その方に私は言うのです「本当に知りたかったら早く行ってください。」それしか有りません。 お釈迦様は、あの世があるか無いかという問題の前に、あの世はあってもなくても良いのだ、行ってみれば分かりますから。
 先決問題は、まずこの世で幸せになることが必用なんだと仰っています。幸せになることを私は考えた結果、こういうふうにすることによってあなたの二度と無い人生が「ああ良い人生だった」と思える、そういう人生になるんだと。その生き方を伝えておきますよと、仰ったのがお釈迦様ですね。
 私達は、生まれた瞬間に日付のない定期券をもらいます。どこへ行くのか。生まれました、真っ直ぐ死へ行く定期券です。ただしこの定期券には日付が書いていない。皆さんの中で、私は何年何月何日何時何分に逝くからどうぞよろしくと、決めていらっしゃる方は手を挙げて下さい。我々僧侶にとって、早く逝っていただくととても助かるんです。そんなこと出来ないでしょ。
 ただし、間違いないことは、生まれたと言うことは必ずいつかは死を迎える。定期券に『バカン』と日付を押されてしまいます。
 ご住職によって若干違いますけれども、白木の位牌に『享年○○』と書く場合がありますよね。この『享』という字は授かるという意味です。だから○○歳で亡くなった、という時にお坊様が、享年○○歳とお書きになる。これは○○年間の命を授かった、そして今日、授かった命が終わりを告げたと言うことなんですね。
 最初から『死』という言葉を使っています。
 
 10月4日掲載文
 今皆さんは、ここに生きておられる。皆さんの手元にブルーの紙が入っています。お帰りになったらトイレに貼ってください。
 これが基本なのです、お釈迦様の教えがここに書かれています。非常に分かりやすく作ってみました。これは私だけではなく、多くの方々と何度も相談しました。
  『今朝眼がさめてありがたし』
  今朝 眼がさめて ありがたし
  昨日は すでに 過ぎさりぬ
  明日は 知らじな 今日の日を
  尊く 生きて 励まなん
 皆さん今朝眼がさめて良かったですね。今朝眼がさめてなかったら、今頃大変ですよ。もうご住職の方々が大変だ。
 今朝眼がさめて良かった、昨日はすでにすぎさりぬです。昨日はもう、想い出として残るでしょうけれども、帰ってきません。想い出は残ります、しかし昨日のことをもう一度再現しようと思っても、それは無理なんです。
 で、明日は知らじな今日の日をですから、明日のことをいろいろ考えますね、しかし考えてみたらそんなこと分かりません。本当に分からない。明日のことはいろいろ言ってみても分からないんだと。つまり、何が本当かと言うと、間違いない事は、今ここに皆さんと私がいるという事です。『今』が真実です。
 だからこそ、今を尊く生きて励まなんという事なんです。
 『今朝眼がさめてありがたし』文字で見てても感情として入ってきませんから、どうぞ皆さんご一緒に唄っていただいて結構ですよ。よくご存知の曲でやりますから。
 ♪夕空晴れて秋風吹き♪のメロディーで~
 
 11月4日掲載文
 私がこの歌を歌いまして、10秒以内に拍手が湧きますね。桐生は遅いな。
 これ真実なんです。恐らく事務局はこんな歌を歌う坊さんが来るとは思ってないだろと思います。こういうタイプだから仕方がない。
 今は穏やかにやっていますけれども、これをトイレに貼っておいて、朝バッと。
 色々あったでしょうけれども、昨日と今日とは違う。真っ新な今日です。もうすぐ今日が終わるじゃないですか。明日の朝起きたら、真っ新な朝ですよ。真っ新な命ですよ。
 そういうときには、男性の方々どうぞトイレの中でひとり大きな声でやったらどうですか。
♪炭坑節♪のメロディーで~。
 まさかと思うでしょ、私達の人生って言うのは、いつでも今という、この今を積み重ねた結果です。明日はこれから積みあげられていく今と、今をプラス・プラス・プラスしていった結果、明日が来るはずなんです。
 やってこない場合もあります。でも、基本的にはやってきます。そうすると毎日が本番なのです。12時をもって本日は終わります。で、皆さんも私も、新しい次の一日を迎える。本番なのです。
 だから、今朝眼がさめたという事は、今日私は人生の中で真っ新な本番を迎えたんだと。ならば今日を、今をどう生きようかと。これが本来の、私達の基本だと考えてください。
 今日お集まりの中で80歳はもう越えています、と言う方いらっしゃいますか。・・・ああ、いらっしゃいます。どうぞお元気でどうぞうんと長生きをしてください。私、長寿院と言いまして長生き寺の住職ですから。長寿の寺の住職の話を聞いたのですから長生きをしてください。
 長生きというと、99歳のことを白寿と言いますでしょ。その上は何ですか?白寿というのは百から一つとってしまうからでしょ。
 その上は108歳です、数字は大正解です。何と言いますか。『茶寿』お茶、草冠が二十じゃないですか、そして八十八。足すと108になります。どうぞ茶寿まで生きて下さい。
 
 平成24年2月4日号掲載文(手違いで12月号に掲載できませんでした)
 なぜ私が80歳というお歳を聞いたかと申しますと、我々80歳まで生きていましても、この80歳を分析しますと、何と三分の一の27年間は寝ているのです。
 ずいぶん寝ているじゃないですか。少し寝過ぎじゃないですか。眠っている時間が何と27年。生きるためには食事が必要です、一日三回と考えて食事の時間に10年かかります。食事をした以上はトイレに行かなくてはならない、トイレに行く時間がだいたい5年です。
 27年眠って、10年食事をして、5年トイレ、これを足すと42年になります。これは健康を保つために重要です。だけれども、80歳まで生きるとして、この時間を引いてしまうと、残るのはわずか38年しかない。
 だから、我々の人生80年と言っても、本気になって何かやる、何かが出来る時間というものは実に短い。だからさっき言った『今』なんです。今をどう生きるか、今日をどう生きるかの積み重ねによってという事です。
 時々「住職さん手相を見て下さい」。私、手相などは全然見る事が出来ません。「私はそういうものは見られない。なぜ手相を見てもらいたいのですか?」「来年の幸せを知りたい。」
 来年の幸せは、そんなことで決まらないって。
私は統計学なんか勉強していませんから、否定はしませんけれども、基本的には、手相で来年の幸せは決まらない。手相は、そのとおりいい加減なものですよ。見て差し上げましょうか?
 特に若い女性が『住職さん見てよ、見てよ』私は先ほどご紹介にあった様に、自死・自殺を心の中にに抱いている人と対話をやっていますから、若い子が来るんです。そうして、手相を見てくれって。
 
 3月4日号掲載文
 「うん、辛そうだね。」この一言でもう反応が出る。「そうなんです、私最近主人と上手くいかなくて・・・・」「そうそう、そういう線がここに出ているよ。」
 結構男性が「僕の手相を見て下さい」って。顔を見たら青白くて「ちょっと最近疲れている様だね」「そうなんですよ、最近胃潰瘍があるって言われていて悩んでいるんです」って言われて「そうそう、ここに出ているよ」ばったり騙される。
 そうではなくて、来年の今日こうして皆さんが穏やかに、我が人生いろいろあるけれども幸せだ。と思いたい、実感したいのだったら、幸せになる条件をいくつ積みあげておくかと言う事なんです。
 今日から皆さん、こういう事を積みあげておけば、私は来年の今日幸せになる、具体的な条件を積みあげることによって幸福にもなるし、逆に不幸になる条件を積みあげると、間違いなく不幸になります。
 皆さんの中で不幸になりたい方は手を挙げて下さい。今日は一人もいらっしゃらない。二度と無い人生だから、幸福に生きたいですよ。幸せになるための条件を積みあげておく、この条件のことを、私たちが教えて頂いた『縁』というのです。ご縁がございましてと、言うことですけれども、条件と言う事です。
 結婚式で、新郎新婦が色々なお祝いの言葉を受けられるわけですけれども、多くの方々が『この度は良いご縁に恵まれまして』と言われます。良いご縁とは、お二人が夫婦という形でこれからの人生を歩んで行くという人生を得ることが出来た。条件が整ったと言う事です。だからご縁に恵まれました。
 
 4月4日号掲載文 
 私はスピーチの時意地悪で、新郎新婦に聞きます。「この世の中で、60億人近くの人間がいて、日本に1億三千万人近くの人がいるのに、他の人でも良かったんじゃないですか。何もあなたたちでなくて他の人と巡り会って、そして結ばれても良かったのに、なぜあなたたちはここに披露をしたのか。」
 なんてことを言うんだろう、他の人でも良かったなんて。これはね、真実なのです。やはり二人は実際誰とでも良かったのです、ある意味では。今日ここに目出度く皆さんに披露をすることは、全てを詳らかにする、明らかにすると言う事です。
 お陰様で条件が整いまして、ここに私たちは有り難く夫婦になることが出来ました。ということなのです。私たちの人生というのは、条件をどう積みあげていくかということです。縁というのは、こういう事なのです。
 私たちは絶対と言って良いと思いますが、一人では生きてはいけません。自分と自分以外の関わりで生きているのです。生物学的に言うと、私たちはひらがなで書く「ひと」ですよ。霊長類とか、ホモサピエンス、ここにいる私たちは皆ホモサピエンスなのです。他の人間の種類があったのですが、それを皆駆逐してホモサピエンスだけが生き残ったのです。
 「ひと」それを中国人は「人」と書いた。私以外一人ならそれで良いのですが、誰でもそうなのですが自分と自分以外の人にあった瞬間に、この間が出来ますね。恐らく赤ちゃんが初めて会う人はまずお母さん、胸に抱かれるでしょう。 お母さんに会いました、そうすると間が出来ます。間を持った瞬間に私たちは「人間」になります。中国人は間という字を付けて「にんかん」と言いました。なぜ日本人は「にんげん」と言うのかというと、これは仏教読みなのです。お経で伝わってきた言葉が「にんげん」だったのです。本来ならば「にんかん」なのです。
 この「間」を先ほどの話に戻すと、お互いが不幸になる条件で迎えたら、絶対に不幸になります。・・・・・・
 この続きは録音でお聞きいただけます。


 
 この続きは録音でお聞きいただけます。お聞きになりたい方は連絡してください。
 
平成23年6月4日記念講演会当日、会場配布用パンフレットより。
娑婆に生かされる  桐生南無の会 会長 本間 光雄
 今回講師にお招きしました篠原鋭一先生は、20年にわたり自殺防止に取り組まれ、その活動は『自殺志願者駆け込み寺』として知られています。最近よくテレビでもお顔を拝見しますので、ご存知の方も多いのではないかと思います。
 先生の著書『もしもし生きててもいいですか?』には、実際に先生が向かい合われた自殺志願者と、どのようなやりとりがあったのかが記されています。理由・年齢・性別・職業など、実に様々であります。
 読ませていただいて、それぞれの方がかかえる悩みに、先生がどのように向かい合われたのかが本当に良く分かります。また、先生の優しさがひしひしと伝わってまいります。
 寺には檀家さんをはじめとして、様々な方から、様々な相談が寄せられてまいります。正直言ってどのように応じたらよいのか、迷うことや上手くこちらの思いを伝えることが出来ずに、自己嫌悪に陥ることもしばしばです。そんな私にとって大変有り難い一冊であります。
 今、人とのかかわりが希薄になる中で、実は私たち一人ひとりが改めて人とのかかわり方を考えなくてはならないと痛感します。自殺志願者という限られた方に対してだけではなく、自分の周りにいる人とどのように向かい合い接したらよいのか、深く考えさせられました。
 何気ない一言が、ある時は人を勇気付けることがあります。同じ言葉で深く傷付けてしまうこともあります。
 大震災後テレビのコマーシャルで流されている金子みすずさんの詩
 
『こだまでしょうか』
 「遊ぼう」っていうと  「遊ぼう」っていう。
 「馬鹿」っていうと  「馬鹿」っていう。
 「もう遊ばない」っていうと  「遊ばない」っていう。
 そうして、あとで  さみしくなって、
 「ごめんね」っていうと  「ごめんね」っていう。
 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。

 
こだまは、同じ言葉を返してくれます。言ってみればそっくりそのままを、ありのままを受け入れてくれているということが出来るかもしれませんね。
 お互いに支え合って、励まし合ってこの世の中を生きて行くわけです。いや、生かされてまいります。
 もっともっと、より素晴らしい人生が送れますように。そんな篠原先生の願いが込められた演題と感じています。
 あったかさを回すこと、誰にとっても必要なことだと思えます。    合掌