桐生南無の会のぺージです

時宗 青蓮寺

桐生南無の会


25周年記念講演会講演録

     「 心 に 高 き 帆 を」


講師:群馬県吾妻郡東村 曹洞宗 長徳寺住職・南無の会会友
               酒 井 大 岳 師
 

29周年記念記念講演会講演録「喜ばれる悦び」 
            講師:桐生災害ボランティアセンターセンター長 宮地由高 氏

28周年記念記念講演会講演録「東日本大震災に被災して」 
            講師:すばらしい歌津をつくる協議会会長 小野寺 寛 氏

27周年記念講演会講演録「無縁社会から有縁社会へ回帰」講師:篠原鋭一先生

26周年記念講演会講演録 「南無そのまんま」 講師:ひろさちや先生

24周年記念講演会講演録 「捨て聖一遍上人 ~その人と教え~」
     講師:時宗宗学林学頭、飯能市金蓮寺住職 長島尚道師

23周年記念講演会講演録「生かされて生きる」 講師:重恩寺住職 吉田正彰師

桐生南無の会 会長として掲載した文章 当山住職(本間光雄)の文章

『 心 に 高 き 帆 を 』  桐生南無の会25周年記念講演会より
プロフィール
昭和十年三月、群馬県吾妻郡東村に生まれる。
駒澤大学仏教学部禅学科卒業。曹洞宗長徳寺住職。
南無の会会友。ナマステ・ネパール会代表。
上州みすゞ会主幹。
昭和三十九年群馬県文学賞(随筆)、同五十六年上毛文学賞(俳句)、同五十八年上毛出版文化賞(『般若心経を生きる』)、平成十一年日本社会文化功労賞を各受賞
著書に『金子みすゞの詩を生きる』『禅のことば』『道元禅師御絵伝』『野に語る・般若心経』『こころを生かす』『ナマステ・ネパール』『仏教に学ぶ生き方』『さらさら生きる』など。
 平成21年6月4日、浄運寺本堂一杯の参会者に恵まれました。その時、ネパール支援のカンパを皆様にお願いしたところ、たくさんの喜捨を頂くことができました。閉会後全額先生にお渡しいたしました。心よりお礼を申し上げます。
                
 
                
 以下7月4日号掲載分
 6月4日、当日は心配した雨も降らず、浄運寺の本堂には150人を超える皆様にお越しいただき、盛大に25周年記念講演会を開催することが出来ました。本当に有り難いことと感謝申し上げます。
 また、当日会場で酒井先生のネパール支援事業のためのカンパを皆様にお願い申し上げましたが、4万円近くの浄財を喜捨いただくことが出来ましたことを重ねて感謝申し上げます。
 さて、いよいよ講演会の始まりです。
 
 こんばんは、酒井です。あ、足を出してください。もう言われない内にやっていますね、そのくらい気が利かないといけないんです。
 今、会長さんの方から仰っていただきましたが、最初お伺いして、2・3年後にまたお伺いして、今日は3回目ということですね。
 最初に私の話を聞いてくださった方チョット手を挙げてみてください。じゃ、その次に聞いてくださった方は、アッ、居るね。今日始めての人はどの位?うわー、ほとんどだ。
 つまらない話しかできないから、それは最初から承知して、リラックスして聞いてください。
 とても懐かしい気持ちで伺っています。懐かしい人とも何人か先ほどお会いしまして、よく生きておいでだなーと思いました。向こうが先にそう思っているかもしれませんけれども、25年というこの歳月は、過ぎてみれば簡単な歳月のようですけれども、そうではないですね、長いですよ。
 その間、いろいろな方々が力を合わせてここまで運んでこられたこの会は素晴らしい会、存在感のある会だと思っています。
 ここに二度三度と伺えるご縁にも感謝しております。
 
 ユーモアあふれる軽妙な調子に、知らずいつしか巻き込まれてしまいます。
 
 以下8月4日号掲載分
 私の所は、吾妻郡の吾妻村、今は東吾妻町と変わりましたが、野暮ったい寺がありまして。私は日本一野暮ったい寺と言っているんです。開いてる戸は閉まらないし、閉まっている戸は開かないんです。その戸にあわせて歩くわけでもないのですが、本堂を歩いていると、自分が斜めになっているような気持ちですね。
 自分は、人間が曲がっているから、建物の曲がっている中を歩くのに丁度良いんだと、負け惜しみ的に言っています。檀家も僅かしかないから、お葬式なんかも滅多になくて、ぼちぼちないかなっと、真剣にお祈りしたりするんですが、うちの仏さまは私の言うことなんか聞いてくれない。みんな長生きでね、そんなに生きてどうするのかと思うのですけれども。
 この人は110歳まで生きるんじゃないかと、じっと見つめていたら、このあいだ満106歳で亡くなりました。群馬県で三番手ぐらいでした。
 富岡に110歳がいるんですね、長生きはみんなお婆ちゃん、満106歳の誕生日を迎えて、お祝いをしてもらって、翌日亡くなった。昔、お産婆さんをしていて、私の兄弟五人すべて、そのお婆ちゃんに取り上げてもらったんです。
 後で聞いてみたら、千五百人取り上げたというんです。私ら夫婦の子供達も、そのお婆ちゃんに取り上げてもらったんです。ですから、長生き村と言われています。それでお葬式なんかも少ないわけです。でも何れまとまって来るだろうと、楽しみもあるんです。
 人間て言うのは、楽しみとか希望とか、持って生きなければいけないんです。そう自分に言って聞かせているんですけれども。・・・・
(先生の優しさが滲み出てきます)
 
 以下9月4日号掲載分
 仏教って何だろう、長らくあっちを突っつき、こっちを突っつき見つけてきているんですけれども、最終的に言えるのは、めっぽう明るい教えですね。つまり、切り替え作業が教えの中に見事に出来ているんです。その幾つかを今日はお伝えしたいと思って、五項目を用意しております。
 先ずは『春風のごとく』これは【はるかぜ】と言うより【しゅんぷう】が良いですね。春風のように生きて行きたい、これが一つの願いですね。一つの帆です。それから『悲風を超える』どんな悲しい目にあっても、何さこれくらいという気持ちでもって乗り越えてゆく大きな心。
『縁をはぐくむ』縁(えん)は向こうの世界からこちらに訪れて来るという考えもありますけれど、それは半分の世界であって、与えられた縁を今度は活かして育ん(はぐく)でゆく、育ててゆくと言うことは、我々生きている人間のつとめなんです。ですからはぐくむという言葉を使っています。
 4番目は『喜ば(よろこ)れる悦び(よろこ)』人に喜ばれるぐらい人間にとって嬉しいことはないんですね。人から物をもらうと嬉しいという人がいますか?いますね・・・いても良いんですよ、悪くはないですよ、もらえば嬉しい。でもくれるのはもっと嬉しいですよ。相手が喜んでくれると、あんなに喜んでくれて、来年はこんな風にしてあげたい何て思って、相手の誕生日をちゃんと覚えておいて、相手が忘れていても何かプレゼントをしてみたり、手作りの物を差し上げてまた喜ばせたりする。これは後に触れますけれども、お釈迦様の教えの中で私は一番好きなんです。
 良いことをして相手が喜んだら、もっとやりなさい、そしてその次はもっとやりなさい。そのうちには、計画を立ててやりなさい。という教えがあるんです。それが『喜ばれる悦び』。字が違うってのが良いですね。
 
 以下10月4日号掲載分
 人がよろこぶのは『喜び』ですよ。その喜ばれた顔や姿を見て、与えた人の方がよろこぶのです。もっとうれしい。それは『悦』の方のよろこびなんです。字というのは、ちゃんと分けて考えるように出来ているんです。
 たとえばここで私が話をして、終わった時に皆さんが仮にですけれども「ああ良い話を聞いた」といってよろこんでくれると、その百倍私はうれしいのです。それが喜ばれる悦びなんです。
 仏教の世界で『よろこび』と言ったら『悦』なんです。仏様の教えにお互いが、心や頭や身体全体を傾けて、同じく感動して心を一つにしていく「よかったね」と言って、これが『悦』なんです。そう言うのを『法悦』と言っています。法に従ってゆくくらいうれしい悦びはないのです。
 どんなに貧乏しようが、子供に先立たれようが、家が焼けようが、事故に遭おうが、もっともっと大きなよろこび、悦というものがあるのです。それは教えに従ってゆく大いなるよろこび、専門の言葉で言うと『大楽』と言うのです。大きな楽しみ。儲かればいいなとか、商売繁盛、早く元気になりたい、こう言うのは『小楽』と言って、小さな楽しみ。
 大楽というのは、小さなことでは全然悩まないのです。仏様の教えがバンとありますから、それにくっついて従っていけば、もう大安心で、あとは言うことなしなんです。これが『悦』という字の意味です。
 最後は『語るより歩む』これはもう文字を見ればお判りでしょう。語るというのは口の世界です。歩むというのは行動の世界です。だから理屈ばかり達者な人がいるんです、この世の中には。一杯いるでしょ、テレビ見てても。偉い人ほどそうですね。
 
 以下11月4日号掲載分
 言うことは立派できれい、だけどちっともやってくれない。選挙前なんてそうだよね。立派だよね、選挙後は大したこと無いですよ。一番大事なのが最後に来ています。言葉じゃないよ実践だよ、と。口じゃないよ、行いだと。
 黙って実践できる世界ほど素晴らしいものはないですね。これを・五項目をあげて『心に高き帆を』にもっていきたいのですが、もっていけるかどうか・・・。
 春風のごとくと並んで言える言葉に、秋霜のごとくと言う言葉があるんです。半分の世界しか言っていない。秋の霜ですから厳しさです。春風の反対です。中国の言葉です。
 春風の心をもって人に接し、秋霜の心をもって己を責む。人には優しく温かく、自分には厳しくっていうことです。秋に霜が降りてくると、いよいよ冬が来る、っていう厳しさがあるんです。その厳しさで自分の心にむちを当てなさい。お前はチョットたるんでいる、怠けている。もっと励みなさい、精進しなさいと、厳しいむちを人に与えないで自分に与えなさい。
 だから、人には柔らかく穏やかに、優しく暖かく、自分には厳しくむちを当てて行く。この半分が春風のごとく。自分を責める方の話ではなく、人に対してのことだと思ってください。
 あの人は春風のような人だ、と言うとどのような人かお判りでしょ。にこにこしていて、ちっちゃなことに拘らない。そして、大きな声で笑っていつも楽しそう。だけど、よく知ってみると子供を亡くしていたり、孫を亡くしていたり、いくつも病気を持っていたり、いろんな苦しみを経てきているんですね。
 そんなものをみんな卒業していて、朗らかで優しくて、暖かいんです。だからそう言う人に対して、春風のような人と言うんですね。この中に春風のような人はいますか。自称春風って言う人は手を挙げて・・・ああアッ、一人もいない。そうかと言って秋霜もいないでしょ。自分を責めてないでしょ。
 そうでなければ、生半可に生きられないから、まあそれは勝手ですけれども。時には我が身に厳しいむちっていうのも良いでしょう。
 
   以下12月4日号掲載分
 人に対して春風のように接してゆかれる人って言うのは、三つの条件があるんです。一つは小さな事にこだわらない。これは『らいらい』と言いまして、石を三つ重ねて『磊(らい)』皆さんは『磊落(らいらく)』って言葉を知っているでしょ?あれは中国語で『磊磊落落(らいらいらくらく)』チョット長いから省略して『磊落』、日本に来て出来上がりました。これは小事にこだわらず、という意味です。小さな事にこだわらない、という意味です。
 そこら辺で石につまずいてころんでも「ああこの程度の怪我で良かった、すりむいた程度で良かった良かった。不幸中の幸いじゃ」と思っている。そして、運が悪ければ骨を折るところだった。じゃあ骨を折ったらどうするの?って人が聞いた場合「骨が折れたくらいで良かった、打ち所が悪ければ即入院、このくらいの程度で済んで良かった。」良かった、良かったという方につなげてゆくんですね。これをね『磊』という字を説明しているんです。『磊磊の人』って言うんです。いいですね、こだわらない生き方。小さな事にこだわらない。
 それから、人の非を責めない。人が何か失敗したり、出来心で悪いことをしたような場合、責めないんです。「そんなことは誰でもあることだよ、気にしない気にしない。」交通違反で捕まって罰金取られたとべそをかいてきても、「そのくらいのことは何ともない、どうって事はない」と言って肩の一つも叩いてやる。そんなことでグジグジしているのは、人間じゃないよ。どうだっ、寿司屋にでも行って一杯飲むか。と言うこと。おごってやるぐらい。人間て、肩や背中は弱いのです。イヌは腹が弱いけれど。特に男の人は、肩や背中が弱いのです。
 女性の方は、初めて聞いたと思うかもしれないが、聞いても、もう間に合わない。
 
   以下2月4日号掲載分
 そんなことでグジグジしない、といってポンと背中を叩かれると元気が出るのが男。だから背中、肩、手と順になっている。男は背中が一番弱いんです。そこで背中を叩いてなでてあげる。次に肩が弱い、先輩が「俺がついている」って肩をバンっと押してやると、頑張りますってことになる。スポーツの選手はほとんどそうですね。別れる時には「じゃあな、明日また頑張ろう」しっかり手を握る。この三点を覚えていて下さい。
 三つめは『我欲に走らない』、自分だけ幸せになれれば良い、後はどうなろうとってやつです。お金儲けも自分だけ、おいしいものも自分だけ、住む家も自分の家、車も良い車、自分自身を中心に、引っ張り込んでゆく世界、欲のかたまり、こういう人は『春風のように』生きられないのです。小さいことに拘ったり、欲のかたまりになったりすると、春風のごとくって訳にはいかないです。
 実例を挙げます。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ビルマの竪琴という作品があります。竹山道雄さん、ドイツ文学者ですね。が書かれた日本を代表する小説、童話。どちらの世界でも日本が世界に誇りうる作品です。
 映画にもなりました。この水島上等兵のモデルになったと言われているのが、群馬県利根郡昭和村の曹洞宗の雲昌寺というお寺の先代のご住職です。私の父親の弟の次の住職です。だから血の繋がりはありませんが親戚寺になります。ついこの間、十二月に亡くなられています。
 そのことをある冊子に私が書いております。できあがると全国の曹洞宗のお寺さんに行き渡ることになっています。それをちょっと紹介します、題名は『智慧を授かる』と言います。
 ビルマの竪琴竹山道雄著という小説をご存じでしょうか。これはかつて映画にもなりました。
 
   以下3月4日号掲載分
 主人公水島上等兵のモデルと言われた中村一雄さん、群馬県雲昌寺住職は、昨年(平成20年)十二月、九十二歳で遷化されました。その中村さんから直接私が聞いた話を紹介します。
 インパール作戦に参加中、中村さんたち一行二十人の部隊は、ミャンマー、旧ビルマの山の中にパゴダを発見し、一週間雨宿りをしたことがあるそうです。食糧が尽き、ムドンの街へ向かっていざ出発という時、一人の隊員がパゴダの地下の暗がりにシルクの反物が山と積まれているのを発見しました。
 隊長は言いました「これを持って行けば食料に替えられる、みんな持てるだけ持て」一行は背負った荷物の上に絹の反物をくくりつけました。それぞれ五反・十反と積み上げる中で、中村さんだけは二反だけしか載せませんでした。
 先に死にたいのか、意気地無し。隊長に言われたけれど、中村さんはぐっとこらえました。これ以上積み上げることは、かえって危険だと思ったからです。ムドンの街に向かって二百キロも歩く山の中で、一人死に、二人死に、絹を多く背負ったものから疲れて死んでいきました。(ここは大事だよ。)中村さんは二反しか持たなかったために生き残りました。
 とうとう最後は一人だけとなり、林の中を三日間這いまわって、別の部隊に助けられ、生き残ったと言うことでした。
 中村さんはこう話してくれました。絹の反物が食料に替えられるとなれば、みんな欲が出てきます。多く持った者がそれだけ生きられる、誰もがそう思いますよ。でも私は、体も小さいし、無理をするとバテやしないかなと、とっさに思ったんです。なぜ自分の体力と反物の量とのことを考えたのでしょうね。あの時はそういうことを考える余裕なんて無いんですから。
 私はあれからずうっとそのことを考えています。あれは土壇場で仏様から授かった智慧ではなかったかと。
 中村さんは福井県の永平寺で修行中徴兵されたのですが、仏教書に学ぶことが好きで、修行中は寝る間も惜しんで読書を続けたそうです。
 
   以下4月4日号掲載分
 だから「こんな時どうしたらよいのか、と追い詰められた時、仏教の教えの中からすっと解答が降りてきてくれるのではないか」と、語って居られました。なるほどと私は思いました。
 貪欲に走ってはならない、我欲に走ってはならない、これは仏教の厳しい戒めの一つです。
 その戒めを、中村さんがしっかりと受け止めていたからこそ多くの絹を背負わないですんだのだと思います。自然にそうなったのを、中村さんは「授かった」と言っているのでした。
 日本には春秋二回お彼岸というものがあります、そのお中日は太陽が赤道上の真上に位置するので、昼と夜の時間が等しくなります。昼にも夜にも偏らない、天地のもっと穏やかな時にあるのがお彼岸なのです。
 天地が穏やかな時、人間の心の内も穏やかになります。ご先祖のお墓にお参りする時、心の内が暗かったりざわめいたりしていたら、ご先祖の心持ちもすっきりしないのではないでしょうか。
 そしてもう一つ、季節も穏やか、人間の心の内も穏やかである時、仏様の教えは理屈抜きにすとんと下っ腹に落ちてくるということ、つまりお彼岸は仏教を勉強するのに最もふさわしい時であるということが言えると思います。
 お彼岸にはご先祖のお墓参りをします。香を焚き、花を供え、ねんごろに感謝の合掌を捧げます。その後、飲んだり食べたり歌ったり、どこかに遊びに行ったり、親族がこぞって楽しむのかもしれません。しかし、それだけではご先祖は喜んでくれないのです。
 仏様の教えを大切にし、より人間らしく・・
 
 この続きは録音でお聞きいただけます。希望される方は申し出て下さい。

 6月4日の【桐生仏教会100周年・桐生南無の会二十六周年記念講演会】は桐生市民文化会館スカイホールで ひろさちや先生 を講師にお迎えして開催されます。
 講演会終了後、先生を囲んでの祝宴を桐生駅南口のビキニ館で開催いたします。
 祝宴参加希望者は南無の会事務局へ申し込んで下さい。会費五千円の予定です
 
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